月刊誌「潮」11月号に掲載された、青山佾(やすし)元東京都副知事の寄稿を要約してみます。

コロナ禍で示した地方議会の力

 東京都のコロナ対策を振り返ると、特筆すべきは都議会公明党が都庁・都知事に対し、数十回にも及ぶ提言や要望を提出していることだ。

 伝統的に公明党は、行政では、なかなか気づかないようなところをきっちりと押さえるが、地域に密着し都民の生の声をくみ上げているからこそできる。このような日常活動があるので、コロナ禍においても業界団体や市民団体、個人は公明党に相談し、その声に耳を傾けることで、きめ細かい要望、提言ができたのである。

 4月の緊急事態宣言の際、公明党は、休業要請する以上は補償とセットにするべきと、何度も提案・要望書を出している。都「感染拡大防止協力金」が実現したが、議会質問・提言することは世論を形成する一助となり、議会の存在意義が再認識されたと思う。

 

半世紀以上にわたる都議会での存在感

 この半世紀、特定の政党が過半数を占めたことがないのが都議会の特徴であるが、一定の議席を安定的に保ってきた公明党は、キャスティング・ポートを握ってきた。この事実は都議会における公明党の発言力の強さを裏付けるものだが、福祉、教育、中小企業支援、住宅問題などに加え、時代の変化で変わる都民の要望を、きちんと政策として提言してきた事実が非常に重要だ。

 鮮明に覚えている出来事として、66年、多摩ニュータウン開発のための予算を公明党が凍結したことがある。なぜか。ニュータウンは必要ではあるが、その前に、不足する都営住宅を早急に建設しないことには、ニュータウン造成は認められないという思いからであった。自民党に凍結案を呑ませ、都営住宅建設費を予算に入れることが決まり、それを受けて自民・公明両党はニュータウン予算凍結を解除した。

 環境対策では、63年、隅田川に”し尿”が不法投棄されている問題に着目した。公明党都議は、し尿運搬船の糞尿層の中にまで足を踏み入れ、不正を調査・追求し、証拠を突き止め、東京の川をきれいにする運動を展開していった。

 また、印象に残っている出来事として、何十年も前、夜遅く都議会に寄った時、公明党室で、ある議員が一人で仕事をしていた。何をやっているか訊ねると、「PM(浮遊粒子状物質)を知っているか」と。当時、「PM」という言葉を知っている人は、ほとんどいなかった。日本が抱える問題は、大都市から顕在化する傾向があり、大気汚染問題は東京が一番早く表れた。公明党がこうした問題を先取りし、政策に反映させてきたことは、長年、行政に携わったものとして、実体験を通じて感じる。

 

問われる政治の発信力と実行力

  「正しく恐れる」ことのさじ加減は、個々人によるデリケートなもので、政治家の発信力と実行力が大いに問われる。

  例えば、保育園をほとんど休園しなかった区と原則休園とした区があったが、休園によって一番困ったのは、ひとり親家庭、エッセンシャルワーカーなどの人たちだ。公明党は、この時、ベビーシッターの活用を提言した。国は、ベビーシッター利用者に補助する方針を固めていたが、これを知らない家庭も多かったため、公明党議員は、積極的な利用を呼び掛けた。さらに、都知事にベビーシッター事業者に対する都助成金を非課税にするよう要望した。休園するとどういった事態になるか、に対する現実的な想像力を働かせた非常に的確な提言と思う。

 テレワークはある程度、常識になりつつある一方、コロナ禍は深刻な雇用危機をもたらし、創業・起業者が窮地に陥るような事態になっている。これを受け、公明党は無利子融資や無担保融資等を実現してきたが、より一層推進していくべきだろう。

 変化を敏感に察知し加速させ、コロナによって停滞したものは従来より手厚い策を講じるような、これまでとはひと味違う政策が求められるのではないか。

 1兆円近い基金が枯渇し、法人税等税収が減り、企業減少や失業者の増加が懸念され、待ったなしの状況ではあるが、日ごろから生活者の悩みに寄り添いアンテナを張ってきた公明党議員のネットワークが、力を発揮できる場面ではないかと期待している。