要らなくなった母子手帳 | スシタロウと私。

スシタロウと私。

2021年11月、36歳で第一子を出産。
息子スシタロウとのことを、ゆるく綴っていきます。

流産から数日経ち、心身ともに落ち着いた頃。

 

 

リビングのキャビネットに積んであった、役所からもらった妊娠おめでとうグッズが目に入る。

 

 

妊娠中に気をつけることとか、出産後のサポートとかの書類が色々セットになってて、母子手帳と一緒にもらったもの。

 

 

母子手帳もエコー写真も、そういえばケースに入れたままだなぁ…とふと思い出した。

 

 

そして思った。

 

 

はて…母子手帳はどうしたらいいのだろう。。。

 

 

流産届みたいなものがあるのか?

妊娠届出したまんまだけど、大丈夫?

 

 

ネットで調べたけど、調べ方が良くないのか、知りたい情報はヒットせず。

 

 

母子手を帳貰った窓口に電話してみた。

 

 

「年末に母子手帳をもらったんですけど、妊娠継続できなくて流産しちゃって…何か申請って必要なんでしょうか?」

 

 

電話口に出たのは女性だった。

 

 

「そうだったんですね…わざわざご連絡ありがとうございます」と、声のトーンも落ちてた。

 

 

そりゃそうよね。

見ず知らずの女とはいえ、流産しちゃってーって電話がきて、明るく対応できないわな。

 

 

何か申し訳ない…笑

 

 

結局は、特に申請も要らないし、母子手帳の返却も不要。

処分しても、持っててもいいですよ~とのこと。

 

 

「とにかくお身体を大事になさってくださいね」

そう気遣ってくれて、電話終了。

 

 

何か、いい人だった。

 

 

妊娠は継続できなかったけど、

数日ぶりに母子手帳やエコー写真を見ても、悲しくなったり、また泣いちゃったりってことはなくて。

 

 

自分の中で、ちゃんと消化できたんだなって思った。

 

 

かといって、何かすぐに捨てる気にもなれず…

 

 

書類一式と、初めてのたまごクラブと、マタニティマークと、産院からの「妊娠おめでとう!」書類を全部紙袋に突っ込んで、戸棚にしまった。

 

 

母子手帳もエコー写真も、全部。

 

 

 

 

 

旦那さんにも、この件を報告。

「一応、捨てずにしまっておいたよ」と。

 

 

旦那さんも、捨てる必要ないだろ~派だったので、問題なかった。

 

 

 

 

 

初めての妊婦検診で稽留流産と分かったので、私たちの初めての母子手帳は、表紙に母親(私)の名前を書いただけだった。

 

 

中は何も書かれることなく、使われることなく、要らなくなってしまった。

 

 

使った跡が全くない。

赤ちゃんの成長記録もない。

 

 

でも、「母子手帳」というものをもらう初体験と、もらえた喜びの思い出は残ってて。

 

 

そう思うと、ちょっとしんみりしちゃうけど。

 

 

でも、そんな経験ができたことに、今は素直に感謝してる。

 

 

 

 

 

私も旦那さんも風疹の予防接種を受け、次の妊娠に向けて、気持ちは前を向いていて、

 

 

流産したことも、

次の妊娠のことも、

二人で普通に話題にできるし、

 

 

そういう自分も、そういう旦那さんも、いいなーって思ってて。

 

 

 

 

 

思っていたよりも早く立ち直れたのは、

やっぱり、

 

 

病院の皆さんが寄り添ってくれたり、

友達が笑わせてくれたり、

何より、旦那さんが愛情で埋めてくれたからだと思う。

 

 

とことん落ち込んで、悲しんで、泣いて、

 

 

そしてそんな自分を、自分で受け入れた。

 

 

神社に行きたい!って思い立って、近所の神社に行ってみたり。

 

 

したいことして、食べたいもの食べて、自分を癒した。

 

 

それが良かったのかなぁ。

 

 

 

 

 

あとは、悲しみ以上の痛みの記憶(笑)

 

 

 

私の母子手帳には、そんな思いと、思い出が詰まっている。