違和感は無視するな、とよく聞きますが


違和感に限らず

怒りや悲しみや不安も

「自分の在り方を見直そう」

というサインですよね。


わたしはずっとそれを頭ではわかっていながら

自分の在り方を変えず

相手を変えようとしてしていました。


当然だけど、相手は変わらず

わたしはついに「自分の在り方」を見直すことになります。


こんなことは、これまで何度もありました。



同じ謎解きゲームを何度繰り返せば気がすむのか…


肉体をもって生まれてきた人間の「味わいたい欲」はすごいなぁと感心します。


何度も味わって味わって

味わい尽くして


手放して


楽になった✨


と思っても


また違うパターンで味わうこともある。


そんな貪欲な自分を責めることなく

(以前は責めていましたが)


味わったのだから大成功!


と、進んでいるうちに


いつまにか次のゲームにログインしているのです…


死ぬまで味わい続けるか。


淡々と受け入れるお任せ人生にシフトするか。


きっと、どちらでも素晴らしい人生だけど


わたしが辿り着きたいのはお任せ人生。


それははっきりしているのです。


△△△△△

山の奥深くで咲く紫陽花。

山のなかで出会う花たちには

なぜか励まされるのです。


人間から見ると過酷な環境のなかで

咲いているからかな。