8映画と愛国 9菊と刀 より
映画「からっ風野郎」の主役として、粗暴な与太者を演じた三島。鏡子の家の失敗で傷ついた自尊心を癒すためのものだったかも知れない。
メディアに取り上げられ、まんざらでもない本人はスター然と振る舞った。
昭和35年は日本が政治的な局面をむかえていた時代。日米安保改定を巡り、多くのデモ隊が繰り出す中、岸首相は姿を隠し、条約は自然成立となった。
この当時の数年間における三島の政治に対する感覚の急激な変遷が書かれている。
三島のエッセイ中に、「岸首相がこれほどまでに憎まれるのは、信念が無い小さなニヒリストであるためであり、自分も似たようなものだが、リアリストな者を国家元首に選んだほうが賢明」というような内容がある。しかし、その数年後には、次の通り。
「次の安保条約更新(昭和45年)になったら自分は剣を手に左翼と闘って死ぬつもりだ」
このように、短期間のうちに、政治に対する色調が大きく変わっている。
昭和35年、「憂国」執筆。この中で一貫して若い青年将校側に寄せており、皇統派の若者たちを神話的英雄に高めつつ、自己犠牲的に死ぬことを称揚している。作中自刃の描写は酸鼻を極める。
後に、死に場所、死に時を自ら選び取ることこそが至福。苦痛に充ちた自刃は戦場における名誉、至誠などということが語られている。
鏡子の家によって見られた天皇崇拝の萌芽は、憂国によって顕在化し、明らかに政治化した三島が出現していくことになる。
憂国の前後に出された「宴のあと」の際には、モデルとされる人物から提訴され、数年後敗北する。
この頃から三島は文壇の友人との付き合いをしなくなっていく。
昭和30年代半ばの日本は政治的混乱の最中、小説も政治・社会的色彩を強めた。三島の人気は急速に傾いていったが、エッセイや連載小説までむしろ多産性が増したのは、純粋な文学的活力の低下と言える。この時に三島が見出したのは、武士道であり、武士の道徳を説いた書物「葉隠」。
葉隠は明治中期以降に再認識され、国粋主義者により利用された。戦後は危険な書物として禁書。
後に三島はエッセイ「葉隠入門」を発表する。
さらに「私の遍歴時代」では、ロマン的思考への傾斜がみえる。
小説「午後の曳航」は、5万分という売上に留まり、三島はベストセラーにならなかったことを、直接講談社に出向いて詫びたという。