『三島由紀夫 ガリマール新評伝シリーズ』 | 節操の無い庭

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築40年近い中古物件で意図せず手に入れた和の庭園の模様。自然、生き物、家族、自分のことなど。備忘録。

三島由紀夫、2025年で生誕100周年。

昭和年号と同じでもある。

三島由紀夫の小説云々より、三島の生き方そのものに関心あり。というか、小説は半ばで挫折。

誰それが書く三島伝的なものが三者三様で興味深い。



プロローグは、1876年の熊本での反政府暴動、神風連の乱。新政府の政策に不満を抱く旧士族太田黒伴雄らの敬神党が、国粋主義を掲げて鎮台・県庁を襲撃、鎮圧された。100年後に三島が自衛隊市ヶ谷駐屯地で蹶起を訴え割腹自殺を遂げる。


1 ねじれた生い立ち より

大正末期に生まれた公威(三島)、時代は関東大震災の数年後。

三島祖父は頭脳明晰、野心家で樺太庁長官に就任。華族出身の三島祖母の夏子は、ヒステリーの気があった。この祖母なくして小説家三島由紀夫の誕生はなかったと言われる。穏やかならざる夫婦のもとで三島父梓は育つ。生真面目、頑固一徹、帝大法科の後に農林水産局へ。後に教育者である家柄の橋倭文重と結婚。三島母倭文重は姑である夏子からいびられ、女中扱い。

夫婦の第一子、公威(三島)誕生。しかし、四十九日目で祖母夏子が夫婦から奪いとり、自分の部屋に閉じ込めて育て始める。その後生まれた妹美津子、弟千之に対しては興味示さず、長男公威(三島)だけに執着。

夏子は公威が幼児になっても、ほとんどの外に出さず、男の子とは遊ばせなかった。近所の女の子を数人遊び相手として宛てがう。

倭文重が与えた玩具を危ないと没収しても、涙一つこぼさない公威。学校の遠足を禁じられて一人大人しく積み木で遊ぶ公威。

小学校は、夏子の貴族趣味に適う学習院に決定。

学習院はもともと華族と皇族のため創設された教育機関。

抑圧的な夏子との生活の中で、授けられたのは歌舞伎への愛。三島の芝居に向ける情熱は死ぬまで続く。同時に侍や浪士の残忍で誇り高き死に様に陶酔し、耽美的な嗜好が高まる。

12歳の公威が初めて経験した自慰は、絵画『サン・セバスチャンの殉教』

血みどろ+悶え苦しみ+屈強な男=エロティズム。

病に苛む祖母夏子は、公威が十歳を超えてから開放する。両親、きょうだいとの暮らしが始まる。

しかし、今度は父梓が新たな暴君となる。女々しさのある公威が気に入らない。性根を叩き直そうと読書を禁じる。怒鳴り散らしながら本を窓から投げ捨てたという。その後、梓は単身赴任となったことから、初めて公威と倭文重は自由な生活を手にいれた。公威14歳で夏子が死亡する。死を聞かされた公威の顔は能面のようだっという。


『幽閉』という言葉の強烈さから、祖母夏子の異様さがみえる。嫁から赤子を取り上げ、授乳の時でさえ懐中時計片手に嫁を監視する激烈さ。

純粋に華族的な教育を施すためだけとは思えない執着。

子を奪われた母倭文重の苦しみは想像に余りある。

公威が不健全な家族の形の中で、生贄的な存在に思われた。逆らえない母と息子の弱さ。

夏子は、公威と倭文重が影で仲良くすると、癇癪を起こしたという。

公威親子が、夏子の神経症に障らぬことを優先に生活していたことが伺える。

夏子のやり方に口出しできない家族。夏子の立場強し。それでも、この祖母夏子がいなければ作家三島由紀夫は誕生しなかったと言われる。

本来の子どもらしい生き方の代償に、読書や詞を書くこと、歌舞伎を介した侍時代の日本に対する憧れなど、作家としての三島の糧となるものが、皮肉にも祖母との暮らしの中で創られていった。