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作品掲載
note企画
2021年8月分掲載
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(百首歌たてまつりける時、秋のうたとてよめる)
夕されば野べのあきかぜ身にしみてうづら鳴くなりふか草のさと
藤原俊成
千載和歌集秋上259(258)
訳や語釈、これまでの解説は
昨日の記事を
お読みくださいね。
『伊勢物語』の深草の物語を
本説取りして詠まれた、
俊成の自讃歌であり代表歌。
ちなみに、
『伊勢物語』百二十三段では
男は女の歌に心打たれて
深草を出ていく気が失せた
とのこと、
本説はいちおう
ハッピーエンディング
ということになるのでしょうか。
俊成はその物語の結末を
当然熟知したうえで、
その物語の選択しなかった
別の未来、
女に飽きた男が出て行き
女が鶉となった未来
を
歌の世界で描いた
ということですね。
ここから連想されるのが、
俊成を歌の師とする
式子内親王です。
彼女も、
特定の物語や漢詩などの
本説を踏まえたうえで
さらにその世界を推し進め、
本説取りを試みる、
という事を何度もしています。
例えば『源氏物語』、
例えば「陵園妾」。
これらをはじめとした
複数の歌には
式子の古典摂取の姿勢が
よく表れています。
本説の漢詩をただなぞって
翻案しただけの歌や
本説の物語を
そのまま説明したような歌
はすでに
前時代に試みられ尽くした
と考えたのかどうか、
そうした試みにとどまることなく、
その世界の持ち得た
もうひとつの“未来”や
その世界の一部を借りた
別の“世界”
を彼女は描こうとしました。
「(彼女らから見た)“古典”を生きる」
とでも表すべきその姿勢も、
師から受け継いだもの
だったのでしょうか。
式子内親王のそうした特徴は
こちらに詳しいです。
あと1記事で終わります。
明日もお付き合いください。
夕されば野べのあきかぜ身にしみてうづら鳴くなりふか草のさと
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