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和歌を学ぶ「歌塾」
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作品掲載
2021年8月分掲載
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百首御歌に
くれもあへずいまさしのぼる山のはの月のこなたの松のひともと
花園院
風雅和歌集秋中587(577)
すっかり暮れきることもなく
ほんのり明るさを残した宵の空。
そのような状況に、
まさにいま差し昇る
山の端の月よ。
その光のこちら側に立つ
松の一本の存在感よ。
(訳:梶間和歌)
【本歌、参考歌、本説、語釈】
くれもあへず:
暮れきることもなく、できず。
ここでの「ず」は終止形でなく
連用形なので
「暮れきることもない」ではなく
「暮れきることもなく」と
二句以降につながる。
補助動詞「敢ふ」は
「すっかり……する、できる」
を表すが、
否定形で用い「完全に
……することができない」
を表すことも多い。
「暮れも敢へず」は
「暮れ敢へず」に
係助詞「も」を挟んだ形。
山のは:山の、空に接する部分。
山の稜線。
こなた:こちら側
ひともと:一本
貞和二年(1346年)、
『風雅集』撰定にあたり
光厳院の召した「貞和百首」
にて。
この歌の初句に用いられている
動詞「敢ふ」ですが、
語源が「合ふ」と同じで
相手の状態や物事の情勢に
ぴったり合わせる意、
そこから
「事を全うする」「こらえきる」
などを意味するようになりました。
この核の意味から
補助動詞としての働きも
生まれたことになるので、
補助動詞「敢ふ」に
多く用いられる否定形
「……敢へず」も
「……しきれない、
……に耐えられない」
という
可能の否定のニュアンスを
持つことが多いです。
学研の古語辞典だと
補助動詞「敢ふ」の意味として
「すっかり…する。…しきる。」
とありますが、
これをそのまま否定形にすると
「すっかり…しない。
…しきらない」となります。
可能の否定、不可能の意が
入っていないことになりますね。
しかし、それはおかしい。
和歌でも『源氏物語』でも
何でも、
文語のテキストをいくつか
読み慣れているならば、
「……敢へず」が
「……しきらない」という
単純な否定ではなく
「……しきることができない」
という不可能を
表していることくらい、
つかめるはずです。
花園院「くれもあへず」に
関しては、
「暮れきることもできず」と
不可能を汲み取る必要は
ないかもしれません。
読み取ってもよいけれど。
が、ともあれ、基本的には
「……敢へず」は
意志として何かをしない
のではなく
可能不可能の問題として
しきることができない
という意味で用いられている、
と捉えるべきです。
……果てしなく長くなりました。
続きはまた明日。
くれもあへずいまさしのぼる山のはの月のこなたの松のひともと
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