*:..。o○ ○o。..:*
*:..。o○ ○o。..:*
3月からオンライン「歌塾」にて
講師を務めます
note新企画
2021年2月分アップしました
*:..。o○ ○o。..:*
摂政太政大臣家百首歌合に
いまはとてたのむの雁もうちわびぬおぼろ月よのあけぼのの空
寂蓮
新古今和歌集春上58
【現代語訳】
今となってはもう
北国に帰らねばならぬ、と、
私が頼み――期待を懸けて
田の面に降りて見えていた雁も
思い悩み声を上げたのだ、
去る雁を惜しむ私が
思い悩み泣いただけでなく。
朧月夜のほのぼの明けようとする
曙の空の下に。
(訳:梶間和歌)
【本歌、参考歌、本説、語釈】
みよし野のたのむの雁もひたぶるに君が方にぞ寄ると鳴くなる
『伊勢物語』第十段 「たのむの雁」
春くればたのむのかりもいまはとてかへる雲ぢにおもひたつなり源俊頼 千載和歌集春上36
いまは:もはや、今となっては
とて:と思って、ということで、とて
たのむの雁:「田の面(も)の雁」が
「我が頼む(期待する)雁」と
掛けて詠まれ成立した歌語。
みよし野のたのむの雁もひたぶるに君が方にぞ寄ると鳴くなる
我が方に寄ると鳴くなるみよし野のたのむの雁をいつか忘れん
『伊勢物語』第十段 「たのむの雁」
うちわびぬ:「打ち侘ぶ」自体は
思い悩む、つらく思う意。
ここでは
「(私だけでなく)雁も」なので、
私は思い悩み、
雁は声を上げて鳴いた(泣いた)、
と解釈。
「ぬ」は完了の助動詞。
詞書の
「摂政太政大臣家百首歌合」は、
まず建久三年(1192年)
九条良経が百首歌を企画、
寂蓮を含め様々な歌人の詠んだ
百首歌が
翌四年、歌合の形にされ、
それが通常
「六百番歌合」と呼ばれています。
のちの「千五百番歌合」と合わせ、
新古今時代、また和歌史の
代表的な歌合とされます。
「いまはとて」は、歌合中では
春中、三十番右持。題は「春曙」。
評は
(略)左方申云、右歌殊甘心
判云、(略)右、おぼろ月夜のあけぼののそら、共に優美にして又難決申、猶持に侍るべきにや
(『新編国歌大観』第五巻には
「侍るべにきや」とありますが、
誤植……ですよね……)
私は漢文に明るくないのですが、
「どちらも優美で
甲乙つけがたいので
持(引き分け)にしましょうか」
という意味かと思います。
この歌が、『新古今集』編纂時に
朧月の歌群から帰雁の歌群に
移る境のところに
配列されたのですね。
配列については、塚本邦雄が
このように述べていました。
もっとも、
寂蓮「いまはとて」についてではなく
大江千里の「てりもせず」について
語る文脈での文章であることは、
ご了承ください。
新古今集の春歌上巻、馥郁たる梅花詠が十五、六首続いて一段落すると、そこに、この「照りもせず曇りもはてぬ」が現れるのだ。
源氏物語「花宴」の朧月夜内侍の挿話もここで鮮やかに浮び上る。
次が菅原孝標女の更級日記歌、続くは源具親、寂蓮の春月、
しかも寂蓮の歌は、
「いまはとてたのむの雁もうちわびぬおぼろ月夜のあけぼのの空」
と雁を配し、良経や定家の有名な帰雁詠が続く。
麗句にじみあひ、心象のうるみを描く、模糊たる新古今調の中にあつて、千里の散文性のいかに潔くさはやかに映ずることか。
いまはとてたのむの雁もうちわびぬおぼろ月よのあけぼのの空