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3月から「歌塾」にて
講師を務めます
note新企画
2021年1月分アップしました
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及ばぬ高き姿を体現する
子宮系歌人 梶間和歌です。
塚本邦雄の
情熱ほとばしる文章から、
「書きたい事がないから書けない」
「詠みたい事がないなら
ほかの事しなさいよ」
という話をしていました。
塚本の文章、すごかったですよね。
ほんの一部を引用した
に過ぎませんが、
昨日、おとといの記事から
お読みください。
自我のおもいを歌にぶつける
という行為については、
私は推奨しません。
とはいえ、初めはそれでよいと思う。
それをある程度やりきったのち、
「こんな事やっていても意味ないな」
「歌って、もっと大きな可能性を
持っているはず」
と気づいた人から順に
オナニー短歌を卒業し、
「及ばぬ高き姿」の追究に
次元上昇するのです。
(しない人のほうが多いですよ。プロでもね)
「詠まずにはいられない」
という感覚は、
そのどちらの段階にもあるのです。
オナニーのころも、
「及ばぬ高き姿」を追う次元に
移って以降も、
「詠まずにはいられない」感覚は、
それは、ありますよ。
私、何度も言っていますが、
詩から短歌、そして和歌に
移行してから、スランプがありません。
月に平均120首詠む人です。
そんな私の2020年の総詠歌数は1228首でした。説得力あるやろ!!! ほとんど捨て歌です!!!
— 梶間和歌 (@WakaKajima) January 3, 2021
. pic.twitter.com/h8ioMKo6Km
人間が生きていれば当然
呼吸をするように
歌人が生きていれば当然
歌を詠みます。
意識的に型や題を設定して
詠むことも含め、
私にとっては
歌を詠むのが当たり前。
昨日の記事で話題にした
総合誌の特集で言うような
“歌のタネを見つける”ことを
するとしたら、
それは歌の幅を広げるためであって、
全然詠めない歌を
なんとかひねり出すため
ではない。
無理やり
タネを見つけようとしなければ
歌が詠めない、という方が、万が一
この記事を読んでいたとしたら。
短歌のような、
食えないし、
(少なくともわかりやすい意味では)
何の役にも立たないものに
時間や思考、お金という
貴重なリソースを使わずに、
ほかの、もっと(わかりやすく)役に立つ何か、
もしくはあなたにとってせずにはいられない何か
にそれを使うことを、オススメします。
オナニーと
及ばぬ高き姿の追究
という違いこそあれ、
短歌や和歌に取り組む人は
取り組みたくて
それに取り組んでいますから。
詠まずにいられない衝動、
詠まねばならない理由が
自分のなかにありますから。
歌のタネなんか探す必要が
ありませんから。
理性で考えるメリットなんか
何ひとつなくても、関係なく
そこにリソースを投下しますから。
確かに、
おもいはあっても
技術がイマイチなので、結果
つまらない文章や歌になっている
例は、いくらでもありますが。
技術は育てる必要がありますが、
前提として、衝動は内発的なもの、
衝動がないのに
わざわざそれに取り組むのは、
あなたの貴重なリソースの浪費
ではないでしょうか。
書かずにいられないもののない人が
無理やりひねり出した文章が
つまらないように、
詠まずにいられない理由のない人が
無理やりひねり出した歌など、
おもしろく味わい深くなるはずが
ありません。
もちろん、
詠まずにいられない理由があって
感情を歌にぶつけて作った
オナニー短歌も、
つまらないですけれどね。
今回は、オナニー短歌は
とりあえず議論から外して、
まず自分に
歌を詠む理由があるのかどうか
というところを
争点にさせていただきました。
文章も歌も同じ、
それ以外の何事も同じ。
それをせずにはいられない理由が
自分のなかにあるのか?
なにか聞こえのよい、
誰かの言っていた
“やっておいたほうがよい
と思われる理由”
を借りてきてやろうとしている
だけではないのか?
もしそうではなく、
本当にすべき理由、
せずにはいられない理由が
自分のなかにあるのであれば、
下手くそでも
最善の道でないとしても
気づいたら行動していますからね。
あなたが歌を詠む理由は何でしょう?
歌でなくてもよい、
あなたが“それ”をする理由は
いったい何でしょうね?
この記事の
いつも応援ありがとうございます。
それぞれの及ばぬ高き姿を
それぞれ追ってゆきましょうね!
引き続き、応援
よろしくお願いいたします^^
それでは、またね。