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関路花を
あふさかやこずゑの花を吹くからに嵐ぞかすむ関の杉むら
宮内卿
新古今和歌集春下129
杉や嵐に名高い逢坂の地だが、
春の嵐が梢の花を吹くために
嵐に霞む、
いや、嵐そのものが霞むのだ。
霞にではなく
吹き散らされた桜の花に霞むのだ。
その関の杉群のあたりは。
(訳:梶間和歌)
【本歌、参考歌、本説、語釈】
吹くからに秋の草木のしほるればむべ山風をあらしといふらむ
文屋康秀 古今和歌集秋下249
あふさかや:「逢坂」に
語調を整える間投助詞「や」を
付けた形。
逢坂は、その関所が
京都から東国への出口に当たる
要所。
逢坂山のふもとに逢坂の関がある。
和歌では多く「逢ふ」と掛けて
用いられるが、
杉やほととぎす、嵐と取り合わせて
詠まれることも多い。
後鳥羽院 新古今和歌集春上18
吹くからに:吹くために、吹くばかりに。
原因、理由を表す。
文脈によっては
「……と同時に」「……からといって」
などの意味もある。
ここで「吹く」主語は
その後に出てくる「嵐」。
嵐ぞかすむ:嵐が霞む。
霞が霞む、花が霞む、
杉が霞むのではなく
嵐“が”霞むのだ、というニュアンス。
杉むら:「杉むら」は群生した杉。
建仁元年(1201年)
「仙洞句題五十首」での詠。
『新古今和歌集』には
やはり宮内卿の
花さそふ比良(ひら)の山風吹きにけり漕ぎ行く舟のあと見ゆるまで
新古今和歌集春下128
と並んで入集しています。
この「花さそふ」も、同じ
「仙洞句題五十首」で
詠まれた歌ですね。
杉や嵐と取り合わせることの多い
「逢坂の関」に
桜の嵐、花吹雪をあしらったもの。
伝統を踏まえつつ
新しさも取り込んだバランスが
評価されたのでしょう。
後鳥羽院「鶯の」もそうですが、
色彩の衝突が鮮やかですね。
逢坂山の桜が嵐に吹き上げられ
関の緑の杉むらを霞めてしまう。
ただ、霞めるとはいえ
その緑はちらちらと見えるはずですし、
実際の景以上に
読者である私たちの頭には
桜吹雪の薄くれないと
杉むらの緑のコントラストが
印象に残るでしょう。
新古今歌人のなかでは特に
理知的と言われる宮内卿。
頭で計算して配置した言葉が
理に走りすぎて
うるさいこともありますが、
この歌は
理がうるさすぎるということもなく、
秀歌というほどでもないものの
まず成功している
といえるのではないでしょうか。
そもそも歌人としての活躍が
4年弱とかいう短期間、
宮内卿の実人生についての記録は
少ないので、
彼女が逢坂の関を越える旅を
したかどうかという記録も
聞いたことがありません。
まあ、当時の歌の詠み方を考えると、
逢坂の関を行き来した体験などなく
五十首歌を詠進するに際して
「逢坂の関」「花」「逢坂の杉」などの
観念から構成して
詠んだ歌ではないでしょうか。
体験詠か否かを
歌の価値と結びつける鑑賞の仕方は
近代短歌の一部の人間の
傲慢さゆえに許されたことです。
そんなふざけた鑑賞の仕方を
世も世、令和になってまで
引き継ぐ必然性は、皆無。
四句「嵐ぞかすむ」が
衝撃的だったようで、
後鳥羽院は6年後の
「最勝四天王院障子和歌」で
新古今和歌集春下133
と詠んでいます。
後鳥羽院は
「嵐もしろき」と転じていますが、
新古今歌壇では
「嵐ぞかすむ」のような
「秀句」と呼ばれる新しい表現が
出されるやいなや
我も我もと皆が取り入れて歌を詠む、
ということが盛んだったようで。
それはそれで新古今歌壇の
特徴だと私は思うのですが、
時代の下った為家のころには
他者の使用を制限する表現が
定められました。
「制の詞」「主ある詞」
と呼ばれるものです。
秀句を独創した最初の使用者に
敬意を表そうということですね。
「嵐ぞかすむ」もそのひとつとして
挙げられたようです。
制の詞には功罪あり
議論もあるわけですが。
少なくとも、たいして心得もない者が
珍しがってやたらめったら
そうした表現を用いるとしたら、
確かに残念なことでしょうね。
あふさかやこずゑの花を吹くからに嵐ぞかすむ関の杉むら