藤原定家 白雲の | わたる風よりにほふマルボロ

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百首歌奉りし時

 

白雲の春はかさねてたつた山をぐらのみねに花にほふらし

 

藤原定家

新古今和歌集春上91

 


 
【現代語訳】

 

いつも白雲のかかる立田山に、

春はもう一重重ねて白雲が立つ。

立田越えの途中に当たる

小鞍(おぐら)の峯に

花が咲き、美しく匂っているようだ。

その花が、もう一重の白雲として

立田山にかかっているのだ。


(訳:梶間和歌)
 

 

【本歌、参考歌、本説、語釈】

 

白雲の竜田の山の滝の上の小鞍(をぐら)の嶺に咲きををる桜の花は……

高橋虫麻呂 万葉集巻九、1747

 

白雲の:「立つ」や、

 それと同音の「立田」などを導く枕詞。

 

春はかさねてたつた山:

 春は重ねて白雲の立つ立田山。

 重ねて立つ白雲は、

 峯の桜を雲に見立てた表現。

 

をぐらのみね:未詳。

 小鞍、または小桉の峯。

 立田越えの途中にある。

 

花にほふらし:桜が咲き、

 美しく匂っているようだ

 (というのもその根拠は……)

 「らし」は、現在の事態について

 根拠に基づいて推定する助動詞。

 歌中で「らし」と述べた事象の根拠の

 述べられていないものは

 「らし」の誤用。

 

 

 

正治二年(1200年)八月、

後鳥羽院主催「正治初度百首」中の

一首。

 

御子左家ではなく、

そのライバルの六条家を支持していた

源通親により、当初

定家が作者から外されていたものの、

 

俊成が必死に訴えて

最終的に作者に加えられた、

いわくつきの百首歌です。

 

 

作者から外された定家の

大人げないというか、なんというか……

拗ねた態度や、

自己正当化したいがための

他者攻撃のさまが

『明月記』に残っています。

 

自己正当化したくて自分で書いた

日記のせいで、後世

「こいつマジ友達になりたくねえ」

という印象を与えている、

残念な定家くんです笑

 

時に三十九歳の、

いい大人ですけれどね。

 

 

 

後年、隠岐に流された後鳥羽院は

み渡せば花の横雲たちにけりをぐらの峯の春のあけぼの

夫木和歌集春四、1323

と詠みました。

 

定家「白雲の」をはじめとした

定家の複数の歌、というか、

定家の作風そのものの影響を

強く感じさせますね。

 

後鳥羽院「み渡せば」は

明日ご紹介できるかと思います。


 

「白雲の春はかさねてたつた山」、

新古今的なリズム感ですね。

 

掛詞が、というより、

なんでしょうね。リズム感、テンポ感。

 

 

 

語釈のところにも書きましたが、

「らし」は、現在の事態について

根拠に基づいて推定する助動詞。

 

この約束事を理解していない

テキトーな歌人の多くが

現代語の「らしい」のつもりで

「らし」を使いますが、あれは間違いです。

 

こちらもご参照くださいね。

 

 

白雲の春はかさねてたつた山をぐらのみねに花にほふらし

 

 

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