建礼門院右京大夫 なべて世の | わたる風よりにほふマルボロ

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又の年の春ぞ、まことにこの世のほかに聞き果てにし。そのほどのことは、ましてなにとかはいはむ。みなかねて思ひしことなれど、ただほれぼれとのみおぼゆ。あまりにせきやらぬ涙も、かつは見る人もつつましければ、なにとか人も思ふらめど、「心ちのわびしき」とて、引き被(かづ)き寝暮してのみぞ、心のままに泣き過ぐす。「いかで物をも忘れむ」と思へど、あやにくに面影は身にそひ、言の葉ごとに聞く心ちして、身をせめてかなしきこと、いひ尽すべきかたなし。ただ「かぎりある命にてはかなく」など聞きしことをだにこそ、かなしきことにいひ思へ、これは、なにをかためしにせむと、かへすがへすおぼえて、

 

なべて世のはかなきことをかなしとはかかる夢みぬ人やいひけむ

 

建礼門院右京大夫

建礼門院右京大夫集222

 



 
【口語訳】

 

その翌年の春、とうとう本当に

あの方が

この世のものでなくなった

その顛末をすべて聞いてしまった。

その悲報を耳にした時のことは、

もういったい

何と表したものだろうか。

すべて、かねてより

想定していた事ではあるものの、

いざその時を迎えてみると、

ただ呆然とするほかはない。

あまりにせき止めかねる涙も、

一方ではそれを見る人の目も

決まり悪いなどと

気になってしまって、

何事と人も思うことだろうか

とは思うけれど、

「気分が悪いのです」

ということにして

寝具を頭からかぶって

一日中床に臥せて

心のままに泣き過ごす。

「なんとかして

 すべてを忘れてしまいたい」

と思うけれど、意地悪くも

あの方の面影は我が身に添い、

昔掛けられた言葉の

一言ひと言を耳に聞くような

心地がして、

この身をさいなむ悲しさは

言い尽くすべくもない。

ただ「命には限りがあるものゆえ

寿命で亡くなった」など

聞いた場合でさえ悲しい事として

世間では言いもし、思いもするが、

このたびの事はいったい

どのような先例を

先例としたものか、重ね重ね

言いようもなく思われて、

 

おしなべて世のなかの

死というものを悲しいなどとは、

このような悲劇的な夢を

見たことのない幸いな人が

言ったのだろうか。

そう考えるならば

わからないこともないが。


(訳:梶間和歌)
 

 

【本歌、参考歌、本説、語釈】

 

なべて:おしなべて、すべて

 

はかなきこと:死

 

かかる夢みぬ人やいひけむ:

 このような夢を見ない人が

 言ったのだろうか。

 

 

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この歌そのものが

特別うまいとは思いません。

 

胸は打ちますが、それは

歌そのものではなく

状況、背景による感慨。

 

戦争により

別れ別れになった恋人が

壮絶な戦死を遂げた

という友が目の前にいたら、

 

その歌が

うまかろうが下手であろうが

涙をもよおすでしょう。

 

この歌はそういう種類の歌だ

と私は捉えています。

 

 

そうした背景を持つ、

技巧より歌の統制より

感情のほとばしりの優先された

歌ゆえ、

 

歌そのものの巧拙は別として、

この歌の本歌取り、

この状況の右京大夫を

作中主体とした成り代わりの歌は

非常に詠みやすい。

 

私も数々詠んできたものは

紹介してきましたが、

いくつか思いつくものを改めて。

 

かなしとはかゝる目見でや人の言ふむなしき空の春風のいろ

ためしなき別れと人は人を言ふ寿永四年の春を忘れて

「第64回角川短歌賞応募作50首詠 「みな底の夢」」

 

 

いま整えている50首詠には

この歌の本歌取りが

特別多いのですが、

 

こちらは

応募結果の出たあとでなければ

紹介できないので。

それは改めて。

 

 

なべて世のはかなきことをかなしとはかかる夢みぬ人やいひけむ

 

 

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