第64回角川短歌賞応募作50首詠 「みな底の夢」 | わたる風よりにほふマルボロ

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美しい和歌に触れていただきたく。

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『源氏物語』を使った心理学講座。

次回講座は12月1日

空蝉の人生を題材にします。

その後のスケジュールはこちらです。

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2018年5月提出

第64回角川短歌賞応募作50首詠

「みな底の夢」

梶間和歌


 

とゞむべきいのちなるかは見るはこの限りある夢限りなき夢

 

四つの緒の響く世に人の忘るとも夢をまだ見るみな底の夢

 

(こと)問はゞこたへむ人の忘れつる寿永四年の春の別れを

 

夢のうちに又夢を見るかりの世やさりとも生きてあれと(ばかり)

 

ながめ暮らすけふやうつゝやおぼつかな花の雨ふる夕暮れの空

 

待つことも恨むることもさいはひと分きてながむる宵の月影

 

ひたぶるに祈る許の夜を重ね待たねどけふも(むか)ふあけぼの

 

人の世の夢は夢とし分かねばや憂しつらしとを嘆きたりけむ

 

恨みしも恨みられしもいはけなやいのちのほかに何をかは思ふ

 

ふたゝびは逢ひ見じ聞かじうつゝとは思ほえぬ世に生きてだにあれ

 

生きてだにあれとしもこそ言ひに言へ水沫(みなわ)とひとの変はり果てぬる

 

この春はいろをうしなひ春といふ春はけふよりみな底の夢

 

うらうらとひばりさへづる中空(なかぞら)(けぶり)だにせぬひとのなきがら

 

明けぬれば夜は明け果てぬ風吹けば花の雨ふる春にありけり

 

去年(こぞ)まではむなしとながめこし春をむなしさの限りむなしとぞ見る

 

かなしびの極みを知らでながめつゝむなしかなしと春を言ひけむ

 

かなしとはかゝる目見でや人の言ふむなしき空の春風のいろ

 

時はゝた止まるやと見ゆむらさきのあふちの花を藤とまがへて

 

さ緑の風の立ちぬる朝ぼらけ日はめぐるらむ目の覚めぬまに

 

夏木立の緑にやがてながめしてひと日ひと日と時の流るゝ

 

ひとや夢うつゝや夢と惑ふにも身はいたづらにあるにぞありける

 

春といはず世はなべてこそむなしけれ覚めやらぬ夢起きて見る夢

 

い寝で覚めで明けぬ暮れぬと過ぐす身に(うつ)しごゝろのまじり初めぬる

 

なかなかに現しごゝろを取りかへしかなしびよりも深きかなしび

 

ひたぶるにかなしぶことにまさるまで現しごゝろに尽きぬかなしび

 

目にうつる夕立雲もゝみぢ葉もしぐれも時もみな夢のうち

 

なきひとを恋ふるこゝろに星の夜のかゝるながめをいまぞ知りける

 

おほかたのあはれと月を思ひけむけふ知る月と星のあはれは

 

かきくらす空をながめて慰まず添ふ許なるかなしびの果て

 

志賀の浦のかへらぬ浪もかへり来て又めぐるべき春は思はず

 

憂きことの限りを知れる草の(いほ)になほ憂さ添ふる春は来にけり

 

思ひわび絶えむとおぼえ絶えもせでことしも庭にきけるうぐひす

 

起きて見る夢にか許憂さの添ふ世とひとたびも思ひやはせし

 

この世には見るべきものを見つと思ひ思へど生きてまだ夢を見る

 

生きて見るこの世の夢の果ても知らず西にかたぶく月のさやけさ

 

憂きことの身に添ふごとに憂かりける(ころ)の憂き身のさいはひを知る

 

ながらふるのみにこそあれ我れをおきてのちの世祈る人あらめやは

 

のこされていたづらにあるすゑの世に忘れぬことを甲斐としなして

 

西の海にしづみにければのちの世は安かるらむと祈るみな底

 

いまはたゞむかしのことゝ思ひなし思はぬことを思はする月

 

もの思へ思ひわびよと澄む月の西にかたぶく比の山の端

 

ひと時の夢と知りせば恋ひ交はすひと日ひと日のいかゞあらまし

 

野べの死もみな底の死もうつせみもなべてこの世は夢に見る夢

 

ためしなき別れと人は人を言ふ寿永四年の春を忘れて

 

覚めやらで立つ面影も言の葉もまぼろしのうちや四つの緒よ言へ

 

夜々を経て尽きぬ嘆きは世々を経て嘆きだにこそせられずなりけれ

 

なつかしきいにしへの名をとゞめかねてかへらぬ時をひと刻みしつ

 

みづぐきの跡もむなしきすゑの世になほ消えやらで匂ふ面影

 

みな底の夢となりぬる春に又五十()たび対ふ宿世()なりけり

 

生きて見る夢の終へ処も分かぬまに花をながむる春は来にけり

 

 
【本歌、参考歌、本説、語釈】

 

 

とゞむべきいのちなるかは見るはこの限りある夢限りなき夢

 

とゞむべきいのちなるかは:

 この世に留める価値のある

 命だろうか、いや。

 

限りある夢:

 死を以て終わるこの人生という夢

 

限りなき夢:無明長夜の夢

 

 

四つの緒の響く世に人の忘るとも夢をまだ見るみな底の夢

 

四つの緒の響く世:

 琵琶法師が悲劇を語るこの世。

 四つの緒は琵琶の異称。

 

忘るとも:忘れたとしても。

 

 

()問はゞこたへむ人の忘れつる寿永四年の春の別れを

 

()問はゞ:問うならば

 

寿永四年の春の別れ:

 平家が壇ノ浦に沈み

 資盛と永別したあの別れ。

 壇ノ浦の戦いは寿永4年3月24日。

 

 

夢のうちに又夢を見るかりの世やさりとも生きてあれと()

 

夢のうちに又夢を見る:

……つひに秋の初めつかたの、夢のうちの夢を聞きし心ち、なににかはたとへむ。

建礼門院右京大夫 建礼門院右京大夫集204の詞書より

 

 

ながめ暮らすけふやうつゝやおぼつかな花の雨ふる夕暮れの空

 

ながめ暮らすけふやうつゝやおぼつかな:

 もの思いに耽って暮らす今日は、

 今日なのか、何なのか、

 これは現実なのか。何もわからない。

 

 

待つことも恨むることもさいはひと分きてながむる宵の月影

 

待つことも恨むることもさいはひと分きて:

 来ない男を待つことも恨むことも

 相手の生死が定かだからこそ

 できた事、幸いな事だった、

 と理解して。

 

 

ひたぶるに祈る許の夜を重ね待たねどけふも()ふあけぼの

 

待たねどけふも()ふあけぼの:

 男を待ち明かしたわけでは

 ないのに

 祈り明かして迎えてしまった曙

 

 

人の世の夢は夢とし分かねばや憂しつらしとを嘆きたりけむ

 

夢とし分かねばや……嘆きたりけむ:

 夢と理解しないから

 ……嘆いていたのだろうか。

 

 

恨みしも恨みられしもいはけなやいのちのほかに何をかは思ふ

なにとなく言の葉ごとに耳とめて恨みしことも忘られぬかな

建礼門院右京大夫 建礼門院右京大夫集199

 

いはけなや:幼いことだったよ。

 

いのちのほかに何をかは思ふ:

 命のほかに何を思うだろう、

 いや、何も。

 

 

ふたゝびは逢ひ見じ聞かじうつゝとは思ほえぬ世に生きてだにあれ

 

うつゝとは思ほえぬ世:

 現実とは思われぬ世

 

生きてだにあれ:せめて生きていてくれ

 

 

生きてだにあれとしもこそ言ひに言へ水沫()とひとの変はり果てぬる

 

生きてだにあれとしもこそ言ひに言へ:

 ただ生きていてくれと

 言い続けたけれど。

 単純な強意の「こそ」は

 平安時代に入ってから

 発達した用法で、もとは

 「○○でこそあれ、××である」

 という逆説確定条件を表す。

 紫式部は

 この元の用法を好んで使った。

 

 

 

去年()まではむなしとながめこし春をむなしさの限りむなしとぞ見る

 

むなしさの限り:虚しさの極限まで、

 過去感じてきた春の虚しさなど

 何ほどでもないと思われるまで。

 

 

かなしびの極みを知らでながめつゝむなしかなしと春を言ひけむ

 

むなしかなしと春を言ひけむ:

 虚しい悲しいと

 春を言っていたのだろう。

 

 

かなしとはかゝる目見でや人の言ふむなしき空の春風のいろ

なべて世のはかなきことをかなしとはかかる夢みぬ人やいひけむ

建礼門院右京大夫 建礼門院右京大夫集222

 

かゝる目見でや人の言ふ:

 こんな目を見ないからこそ

 人が言うのだろうか。

 

むなしき空:

 「虚空」を訓読みした和歌表現

 

 

時はゝた止まるやと見ゆむらさきのあふちの花を藤とまがへて

 

むらさきのあふちの花を藤とまがへて:

 紫の樗の花を見て

 夏が来たと気づかず

 春の藤と見間違えて。

 

 

夏木立の緑にやがてながめしてひと日ひと日と時の流るゝ

 

夏木立の緑にやがてながめして:

 夏木立の緑が

 鮮やかになったかと思えば、

 それをもの憂く眺めているあいだに

 長雨が降り出して。

 「ながめ」は

 「眺め」と「長雨」を掛ける。

 

 

ひとや夢うつゝや夢と惑ふにも身はいたづらにあるにぞありける

頼むべき方もなければ同じ世にあるはあるぞと思ひてぞふる

和泉式部 玉葉和歌集恋五、1779

 

 

春といはず世はなべてこそむなしけれ覚めやらぬ夢起きて見る夢

 

春といはず世はなべてこそむなしけれ:

 春がそうだといことではなく、

 世はすべて虚しいものなのだ。

 ここでの「こそ」は強意に近い。

 

覚めやらぬ夢起きて見る夢:

 覚めることのない夢、

 人生という起きて見る夢。

 

 

い寝で覚めで明けぬ暮れぬと過ぐす身に()しごゝろのまじり初めぬる

なかなかに現しごゝろを取りかへしかなしびよりも深きかなしび

ひたぶるにかなしぶことにまさるまで現しごゝろに尽きぬかなしび

さても、げにながらふる世のならひ心憂く、明けぬ暮れぬとしつつ、さすがに()し心もまじり、かなしさもなほまさる心ちす。……

建礼門院右京大夫 建礼門院右京大夫集224の詞書

 

い寝で覚めで:寝もせず、

 寝ないので目が覚めることもなく。

 

明けぬ暮れぬと:

 夜が明けた、日が暮れたと

 

()しごゝろ:正気

 

なかなかに:なまじっか

 

ひたぶるに:ひたすら

 

 

なきひとを恋ふるこゝろに星の夜のかゝるながめをいまぞ知りける

おほかたのあはれと月を思ひけむけふ知る月と星のあはれは

月をこそながめなれしか星の夜の深きあはれをこよひ知りぬる

建礼門院右京大夫 建礼門院右京大夫集251

 建礼門院右京大夫は、

 従来七夕以外では

 和歌に詠まれてこなかった星空を

 先駆的に詠んだ歌人として

 知られる。

 

おほかたのあはれと月を思ひけむ:

 そのつもりはなかったけれど、

 通り一遍の感慨として

 月を思っていたのだろう。

 

 

かきくらす空をながめて慰まず添ふ許なるかなしびの果て

さらでだにふりにしことのかなしきに雪かきくらす空もながめじ

建礼門院右京大夫 建礼門院右京大夫集253

 

添ふ許なる:増すばかりの

 

 

志賀の浦のかへらぬ浪もかへり来て又めぐるべき春は思はず

うらやまし志賀の浦わの氷とぢかへらぬ波もまたかへりなむ

建礼門院右京大夫 建礼門院右京大夫集257

 

志賀の浦:琵琶湖

 

かへらぬ浪もかへり来て:

 寄せた状態で凍ったために

 冬のあいだ返らなかった波も

 春が近づき返ってきて。

 

 

思ひわび絶えむとおぼえ絶えもせでことしも庭にきけるうぐひす

 

絶えむとおぼえ絶えもせで:

 死んでしまうと思われて死にもせず

 

 

この世には見るべきものを見つと思ひ思へど生きてまだ夢を見る

見るべきほどのことは見つ。今は自害せん。

平家物語「内侍所都入」 平知盛

 

 

生きて見るこの世の夢の果ても知らず西にかたぶく月のさやけさ

 

西にかたぶく月のさやけさ:

 浄土は西国にあるとされる。

 また月は仏教の教えや仏僧の

 喩とされることがある。

冥きより冥き道にぞ入りぬべきはるかに照らせ山の端の月
和泉式部 拾遺和歌集哀傷1342

 

 

憂きことの身に添ふごとに憂かりける()の憂き身のさいはひを知る

 

憂かりける()の憂き身のさいはひを知る:

 思いどおりにならない事が多い

 と思っていたころの我が身の

 幸いを知る。

 

 

ながらふるのみにこそあれ我れをおきてのちの世祈る人あらめやは

のこされていたづらにあるすゑの世に忘れぬことを甲斐としなして

西の海にしづみにければのちの世は安かるらむと祈るみな底

いかにせむ我がのちの世はさてもなほむかしの今日をとふ人もがな

建礼門院右京大夫 建礼門院右京大夫集268

 

ながらふるのみにこそあれ:

 ただ生きているだけであろうとも

 

すゑの世:末世。

 平安末期から鎌倉初期に掛けて

 広まっていた末法思想を

 背景とする。

 


いまはたゞむかしのことゝ思ひなし思はぬことを思はする月

今はただしひて忘るるいにしへを思ひいでよとすめる月影

建礼門院右京大夫 建礼門院右京大夫集322

 

思ひなし:思い決めて

 

 

もの思へ思ひわびよと澄む月の西にかたぶく比の山の端

物思へなげけとなれるながめかなたのめぬ秋のゆふぐれの空

建礼門院右京大夫 建礼門院右京大夫集64

 

 

ひと時の夢と知りせば恋ひ交はすひと日ひと日のいかゞあらまし

 

知りせば……いかゞあらまし:

 知っていたならば

 ……どうだっただろうか。

 

 

野べの死もみな底の死もうつせみもなべてこの世は夢に見る夢

 

うつせみ:この世に生きる命

 

 

ためしなき別れと人は人を言ふ寿永四年の春を忘れて

……昔も今も、ただのどかなる限りある別れこそあれ、かく憂きことはいつかはありけるとのみ思ふもさることにて、……

ためしなきかかる別れになほとまる面影ばかり身にそふぞ憂き

建礼門院右京大夫 建礼門院右京大夫集224

 

ためしなき別れと:

 こんなに悲しい死別は

 ほかにないと

 

 

夜々を経て尽きぬ嘆きは世々を経て嘆きだにこそせられずなりけれ

 

嘆きだにこそせられずなりけれ:

 嘆くことさえできなくなったものよ。

 

 

なつかしきいにしへの名をとゞめかねてかへらぬ時をひと刻みしつ

言の葉のもし世に散らばしのばしき昔の名こそとめまほしけれ

建礼門院右京大夫 建礼門院右京大夫集358

 

なつかしきいにしへの名:

 「建礼門院右京大夫」という名。

 彼女はのちに

 後鳥羽院に出仕しているので、

 「後鳥羽院右京大夫」という名での

 『新勅撰集』入集の可能性もあった。

 

とゞめかねて:胸にとどめかねて。

 

 

みづぐきの跡もむなしきすゑの世になほ消えやらで匂ふ面影

われならでたれかあはれと水茎の跡もし末の世に伝はらば

建礼門院右京大夫 建礼門院右京大夫集1

 

みづぐきの跡:筆の跡

 

 

みな底の夢となりぬる春に又五十()たび対ふ宿世()なりけり

 

春に又五十()たび対ふ:右京大夫は

 『新勅撰集』撰集の際に

 藤原定家に家集を提出したので、

 恋人である平資盛との死別から

 約50年は生きたことが推定される。

 

宿世:宿命

 

 

『建礼門院右京大夫集』に

収められた歌そのものが

優れている、とは思いません。

 

私にとっては、これらは

鑑賞の対象ではなく、

創作の題材です。

 

彼女の歌は

私の美学に反していますが、

彼女の歌には創造性の種が豊かです。

 

彼女の歌や彼女の人生を足がかりに、

私の良しとする美学を

彼女がもし持っていたならば

その人生でこうした歌を詠んだだろう、

という歌を私が詠む。

 

成り代わりです。

彼女には、成り代わりやすいのですよ。

 

まだ結果の出ていない

先の9月に提出した連作も

建礼門院右京大夫の成り代わりです。

 

 

前提として、建礼門院右京大夫は

平資盛の恋人であった女性で、

彼の死後50年前後生きたことが

推定されています。