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ことにおなじゆかりは、思ひとるかたの強かりける。憂きことはさなれども、この三位中将、清経の中将と、心とかくなりぬるなど、さまざま人のいひ扱ふにも、「残りていかに心弱くや、いとどおぼゆらむ」など、さまざま思へど、かねていひしことにてや、またなにとか思ふらむ、便りにつけて、言の葉ひとつも聞かず。ただ都出でての冬、わづかなる便りにつけて、「申ししやうに、今は身をかへたると思ふを、たれもさ思ひて、後の世をとへ」とばかりありしかば、たしかなる便りも知らず、わざとはまたかなはで、これよりも、いふかたなく思ひやらるる心のうちをもえいひやらぬに、このゆかりの草は、かくのみみな聞きし頃しも、あだならぬ便りにて、たしかに伝ふべきことありしかば、「かへすがへすかくまでも聞えじと思へど」などいひて、
おなじ世となほ思ふこそかなしけれあるがあるにもあらぬこの世に
建礼門院右京大夫
建礼門院右京大夫集217
(同じ詞書のかかる216は省略)
平家の方々の多くが
亡くなったり捕虜になったり
したなかでも、ことに
あの方のご兄弟については
その悲報に際して
心を痛めることひとしおだった。
それでなくても悲しいのだが、
維盛さま、清経さまおふたりとも
戦死ではなく自死なさったこと、
人々が様々噂をするにつけても、
「それでなくても一門のなかで
孤立していらっしゃる小松家で
ご兄弟を亡くされた資盛さまは
どんなにか心弱くいらっしゃるか、
どんなお気持ちだろうか」などと
私も様々に思い乱れる。
けれども、都落ちに際して
おっしゃったとおりの理由ゆえか、
またほかに思うところがあるのか、
何かのついでにあの方から
言伝てひとつ届くこともない。
ただ都落ちされた年の冬、
かろうじて寄越してきた便りにて
「以前申したように、
いまは我が身は死んだも同然と
思っております。あなたも誰も
私をそのように思って、
どうか後世を弔ってください」
とばかりあったのだけど、
便りを託すべき
確かなつても知らず
特別遣いをやることは
なおさらできない、
それゆえこちらから
言いようもなく気に懸かってしまう
心のうちを
伝えることもできずにいた。
そうこうするうちに、
あの方のご兄弟は
皆このように亡くなってしまった
と伝え聞いたちょうどそのころ、
確かに頼りが届けられると
信用の置けるつてが出来たので、
「返す返す、
このようにお便りなどすまいと
思っていたのですが」
などと断って、
(一首略)
あなたと私がまだ同じ世に
生きている、と思うそのことこそ
悲しいと言うも忍びない悲しさ。
生きていることが
生きていることにもならないような
この世に、同じ世に、
お互いにまだ生きているなんて、
現実とは、とても。
(訳:梶間和歌)
【本歌、参考歌、本説、語釈】
おなじ世:「かつて都であなたと
愛し合っていたあのころと
同じ世界」という説もあるが、
「(現在)あなたと私の生きている
同じ世界」の意のほうが自然か。
あるがあるにもあらぬこの世:
生きていることが
生きていることにもならない、
生きているとも思えないこの世。
同じ語を畳み掛けるように
用いるのは
建礼門院右京大夫の歌の
特徴のひとつ。
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この歌は
おなじ比、右近中将資盛西国に侍りけるに、たよりにつけて申しつかはし侍りける
という詞書で
『風雅和歌集』雑下1997に
入集しています。
通常私は、家集などの歌が
勅撰集にも採られている場合は
勅撰集の表記や詞書で
紹介するのですが、
建礼門院右京大夫の
歌については
『建礼門院右京大夫集』の
詞書の物語性の豊かさも
紹介から切り捨てるに忍びなく、
どちらを紹介するか
迷ってしまいます。
『建礼門院右京大夫集』では
この詞書に続き、
さまざまに心乱れて藻塩草かきあつむべき心ちだにせず
とある次に
この「おなじ世と」が続きます。
それに対する資盛からの返歌は
明日以降紹介しますが、
今はすべてなにのなさけもあはれをも見もせじ聞きもせじとこそ思へ
あるほどがあるにもあらぬうちになほかく憂きことを見るぞかなしき
などです。
資盛の異母兄維盛の入水は
寿永3年3月28日、
新暦では5月ですが
どのみち春の最後に当たる
ちょうどいまごろの季節。
右京大夫と資盛が
最後のやり取りをしたのが
この直後なのかしばらく後なのか
調べていないのですが、
維盛の死の時季に合わせて
このタイミングでご紹介しました。
資盛自身はこの翌年3月24日に
壇ノ浦に沈みます。
維盛の死の翌月に当たる
4月16日に
元号は寿永から元暦に
改元されましたが、
安徳天皇を奉じる平家方では
壇ノ浦での滅亡まで
寿永の元号を用い続けました。
おなじ世となほ思ふこそかなしけれあるがあるにもあらぬこの世に
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