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和歌を学ぶ「歌塾」
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作品掲載
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冬歌の中に
夕暮のあはれは秋につきにしをまた時雨(しぐれ)してこの葉ちる比(ころ)
二条教良(のりよし)女
玉葉和歌集冬836(837)
夕暮れに心動かされるのは
秋のそれで十分だった。
もうこれ以上ないくらい
夕暮れの「あはれ」は
味わい尽くし、心魂尽き、
この世にあり得る「あはれ」
そのものも
これが極限であろうよ
と思われたのに、
冬を迎え、また時雨して、
その気まぐれな雨に染まった
木の葉の散るころの
夕暮れの風情といったら。
(訳:梶間和歌)
【本歌、参考歌、本説、語釈】
ちる花にをしむ心はつきにしを又なげかるるはるのくれかな
飛鳥井雅有 隣女集巻第四、1884
あはれ:心動かされるもの、
また事、情景、状況など
秋につきにしを:秋に極まり、
そして果てたのに。
時雨して:時雨が降って。
「時雨」は晩秋から初冬にかけ
降ったり止んだりする冷たい雨。
神無月(冬のひと月目)の訪れを
告げる、代表的な景物。
『玉葉和歌集』冬歌、
巻頭から3首目の歌です。
作者は二条教良女。
二条道良(九条左大臣)の弟である
二条教良の娘ですので、
京極派歌人として有名な
九条左大臣女とは
いとこ同士に当たります。
また教良女は
父、教良の弟である師忠の
息子、兼基(教良女のいとこ)の
側室でもあります。
九条左大臣女と同じく教良女も
京極派歌人として名高い
女性ですね。
出詠した歌会を見るに、
“前期京極派歌人”
と区分されるようです。
上下句での対比構造は
京極派和歌に散見されますが、
「……を」でわかりやすく
逆接にするのは
ちょっと、前時代的というか、
少なくとも私好みからは
だいぶ外れる構造です。
王朝和歌の時代あたりで
この歌が詠まれたとしたら、
時代の先を行く姿の整った歌だ
という印象だったでしょうが、
もう鎌倉時代も終わるころの
『玉葉集』入集歌としては……
「このフリは要らない」という印象。
同じ着想でも
違った詠み方があったのでは、と
どうしても思われてしまいますが、
いかがでしょうか。
夕暮のあはれは秋につきにしをまた時雨してこの葉ちる比