銀盤に描く夢 | haruうらら ~高橋大輔応援ブログ~

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頑張る大ちゃん、ず~っと応援!!
かなだいLOVE!!

大ちゃんの

壮大すぎる夢を知ったのは

苦しかった、

2011年の世界選手権の後。


ロシアでの

ファンミーティングの時でしたっけ…。


当時、

あまりにも壮大すぎて、

想像がつかなかったけれど、

今の大ちゃんなら、

叶えられる。


そんな気がしている今日この頃。


こんな記事が

ありました。


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読売新聞


【[銀盤に描く夢]<1>ソチで金 高槻から挑む】


国内の大学初めての通年型リンクとして2006年夏、高槻市霊仙寺町にオープンした「関西大学アイスアリーナ」。秋からのシーズンを控え、フィギュアスケートの高橋大輔選手(26)や織田信成選手(25)らが練習を積む。目指すのは、1年半後にロシア・ソチで開かれる冬季五輪。開設から6年を経て、次世代の有望選手や有名コーチらも全国から集う。一大拠点となった関大リンクで、氷上の美と技を磨く挑戦者たちを追う。

 

ひんやりと冷たい。外は35度ほどの暑さでも、リンクの中は13度前後に保たれている。選手やコーチは上着や手袋を身に着ける。

 

高橋選手が加速しながらリンクを横切り、高く舞い上がった。世界で上位を目指すには不可欠な4回転ジャンプ。転倒してもすぐに起き上がり、黙々と繰り返す。時折、元五輪選手の本田武史コーチ(31)が駆け寄り、踏み切るまでの軌道や間合いを確認する。

 

オフシーズンの夏は、秋からの試合に備え、新プログラムを滑り込む重要な時期だ。13年間指導する長光歌子コーチ(61)も氷上で動きをチェックし、細かい指示をする。華やかで艶のある独特の世界が作り出されていく。


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岡山県出身の高橋選手が府内で滑るようになったのは、関西を拠点とする長光コーチに師事した13歳から。高槻市内にあった民間の「オーツースケートリンク」で指導を受けた。だが、関大入学後の2004年11月に同リンクが利用者の減少で閉鎖。キャンパスや下宿先から片道1時間以上かけて高石市の府立臨海スポーツセンターに通った。06年のトリノ五輪に出場し、メダルを期待されたが、8位に終わった。


同年夏、関大高槻キャンパス内にリンクが完成すると、練習環境は改善した。五輪の公式サイズと同じ大きさのリンクで、毎日3~4時間程度、強化選手数人だけで滑ることができる。

 

08年秋に右ひざじん帯断裂の大けがを負ったのも、治療、リハビリの後、練習を再開したのもこのリンク。「不安や焦りもあったが、それらを全て経験、ととらえて自分を保てるようになった」。10年のバンクーバー五輪で日本男子初の銅メダルを獲得。今はソチ五輪での金メダルを目指して、週6日、自宅とリンクを往復する。

 

スケート界をリードする立場になり、選手を取り巻く環境についても考えるようになった。かつて利用した府立臨海スポーツセンターが府の財政難と老朽化で存続の危機にあると知り、募金を呼びかける。

 

「一つのリンクがなくなると、選手たちは他のリンクを探すが、どこも満員でやっている。遠くに通わなければいけなくなって続けられない選手が出てくるのは悲しい」。将来の夢は、リンクに加え、バレエや体づくりのトレーニングなどもできる「総合リンク」の建設だ。

 

国内外で若手の台頭が著しい男子シングル。新たなジャンプやスピン、複雑なステップ……。引退の場と決めた3度目の五輪に向け、進化を続ける。「競技には勝負の厳しさがついて回る。その厳しさから解放された時、やり切ったと思うのか、寂しいと感じるのか。それが楽しみ



◆増す競技人口減る練習場


フィギュアスケートは近年、日本選手の世界での活躍を受け、競技人口が増加。その一方で、リンク閉鎖が続いている。


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日本スケート連盟によると、フィギュアスケートの競技人口は2005年で約3000人だったが、同年末のグランプリファイナルで浅田真央選手が優勝し、翌年のトリノ五輪で荒川静香選手が日本選手初の金メダルを獲得したことで急増。高橋選手が銅メダルを獲得したバンクーバー五輪が開かれた10年には約4400人になった。

 

しかし、リンク閉鎖の流れは止まらない。

 

関西では01年に大阪球場スケートリンク(大阪市浪速区)、04年にオーツースケートリンク、05年に京都醍醐スポーツクラブ(京都市伏見区)が幕を閉じ、府立臨海スポーツセンターは存続が危ぶまれている。

 

現在、関西で通年使えるリンクは同センターと関大のほか、大阪市立浪速スポーツセンター(大阪市浪速区)、守口スポーツプラザ・ビバスケート(守口市)、滋賀県立アイスアリーナ(大津市)の計5か所だ。


06年に完成した関大リンクは縦60メートル、横30メートル。フィギュアスケートやスピードスケート・ショートトラック、アイスホッケーの公式試合に対応できる。電光掲示板や高性能の音響設備、シャワーを備えた更衣室もある。

 

当時関大理事長としてリンク新設を決めた森本靖一郎相談役は現在、府スケート連盟会長も務める。「経済状況が改善せず、スケートを取り巻く環境は厳しいが、フィギュアスケートは子どもたちに夢を与えることができる競技。大学のリンクをなるべく開放し、競技人口を増やしていきたい」と話す。


2012年8月26日 読売新聞)


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元、関大の理事長で
府のスケート連盟会長の、
森本靖一郎さんは、
関大リンクの建設を、
周囲の反対を押し切って、
すすめてくれたと
聞いています。

強引でしかなかった
この決断がなければ、
今の大ちゃんは
なかったかも。


森本さんは
高橋くん
ではなく、
大ちゃんと呼んでくれるんですよね。

ここでも
愛されている大ちゃん。

だから叶った
リンクの建設だったかも。


おかげで
今や、
日本のみならず、
世界をリードする
スケーターになった大ちゃんに
周りが期待するものは、
ただ単に

試合に勝てばいい

というものでは
なくなってきているように
思います。

でも、
それを
ちゃんと理解して
行動している大ちゃんを見ると、
ほんとに
頼もしくなったと
感じます。

そんな大ちゃんの
壮大な夢とは、

バレエや体づくりのトレーニングなどもできる「総合リンク」の建設

リンクが
どんどん閉鎖されるこの日本で、
そんなことが
可能なの?
なんて思っていました。

でも、
困難にぶつかるたびに、
努力して
乗り越えて
克服してきた大ちゃんだから、

その夢、きっと叶う!

叶えさせてあげたい!

と思うのです。


将来のことを考えると
頭を抱えてしまう大ちゃんですが、
先日の、
スケート教室で
ちびっ子たちに
転び方を一生懸命教えている
姿を見ると、
指導者となって
活躍してくれないかなあと
思います。

総合リンクを造って
そこで
育てた選手を
オリンピックに送り出し、
キスクラに座る
コーチの大ちゃんが
選手と
ハグをして喜ぶ姿を見るのが、
わたしの夢です。

ささやかなようで
壮大な夢です。


そして、これらを
叶えるために、
クリアしておきたい課題が
ひとつ。

やっぱり、
ソチで金が欲しい…。

それがあれば、
夢はグンと近くなる。



競技には勝負の厳しさがついて回る。
その厳しさから解放された時、
やり切ったと思うのか、
寂しいと感じるのか。
それが楽しみ。


大ちゃんのこの言葉。

その日を想像して
ついつい
切なくなる言葉です。

でも、
その日に向かう気持ちに
何の迷いも
ぶれもないとわかる。

そんな頼もしい言葉です。

まずは
目の前の夢に向かって、
一日一日を過ごしてほしい。


大ちゃんが
銀盤に描く夢は
もう、
大ちゃんだけの夢じゃない。

スケートを愛する人
みんなの夢。

きっと
大ちゃんは
それも知っている。

それを
プレッシャーに感じる大ちゃんは
もう、いない。

けれどそれが
重い荷物であることに
変わりはなく…。

だから、
少しでも
背負っているものが
軽くなるように
応援するのが
わたしの役目…かな。


大ちゃんが
夢をかなえるその日まで
ずっと
応援するからね!!

がんばってね!!








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