1600年頃からの和歌山城を中心とした街づくり・・・今の町名も多数存続 武家、商人、職人の町 | 元気いっぱい!! 和歌山泉南の本格派印鑑彫刻のはんや いんかん生活宮本印判店

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元気いっぱい!!
和歌山 泉南の本格派の印鑑専門店
いんかん生活宮本印判店
宮街道店は 2020 11月にオープン!!
来年で創業100年目を迎えることなります。  
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江戸時代

和歌山城北部 今の本町界隈

南桶屋町
弊社ご先祖の菩提寺過去帳に載っています。

今も町名が多く残っていて以下の記述も

理解できます。
内町地区
印章店創業の 元寺町も同地区。
現在の会社 雑賀町も同地区内です。
そして 地子免除地となっています。
いわば地代など租税免除となっています。

浅野家そして御三家として徳川頼宣公が紀州に

入って お城を中心として街づくりが進みます。
紀ノ川は天然の外堀として機能しました。

絵図の黒い部分が商人の限定居住区らしいです。


この辺りと思われます。



活況のお店の画
桶がたくさん使われています。
プラスチックの無い時代では
予想以上に多く利用されたと思います。

桶屋町の名も 江戸を始め

全国の城下町にみられます。

紀伊国和歌山名所図絵より

弊社江戸時代『三井屋』『三ツ井屋』の過去帳
和歌山が若山 
安政の「政」の文字も<へんとつくり>が変わっています。

 
天保年間に作られた持丸鑑に記載の三井屋平兵衛の住所
雑賀町


和歌山市の現存の町名 一覧


参考にさせていただいた資料より
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《浅野期和歌山城下町》
慶長 5 年 (1600)、 関ヶ原の戦いの後に
浅野幸長が入国。 在府 19 年。
大手を現在の位置に変える。 この時に本町・内町を建設。

本町通りが大手への道となり、
紀ノ川南岸にあった道路が城下への街道となった。
元和 5 年 (1619)、 徳川頼宣が入国。
浅野期の城下町プランを継承して、 城下町が拡大。
北と西には紀ノ川と水軒川、 東には和歌川が流れ、
南は吹上砂丘の南に和歌川が流れ、
城下の取り囲む天然の外堀となる。

参考記事
和歌山城と城下町の風景より

http://www.wabunse.or.jp/report/sympo_data/pdf/sympo_20150308.pdf

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南海電車和歌山市駅ビルに
和歌山市民図書館があります。
その三階左奥に郷土資料のコーナーが

あります。
貸出不可も多いのですが
和歌山市史も揃っています。

当時の和歌山を残そうとした先人達の記録、図絵
それを研究した後世の先生方
取材先や書籍に関わった人々の情熱が
ひしひし伝わってきます。

感謝と感動。

必見コーナーだと思います。
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三尾先生の城下町和歌山百話
本町通り、ぶらくり丁の記述もみられます。


三尾先生も書かれていますが

三の丸内 武家は屋敷図と名前も記載されていますが

商人町は名前は記載されいません。

他の資料も商人関連は武家に比べて少ないようです。

しかし 
城下町和歌山百話の文中の参考、引用の語句を

チェックして
国立国会図書館デジタルコレクションにて
「御用留」、屋号、名前など検索で

リストアップの古書、ページから 文中、写真から

見つけることがあります。
天保年間の和歌山市の商家の屋号も多くわかりました。
弊社のご先祖もみつけました。




弊社関連 業歴と沿革はこちらにも掲載