宮本印判店の業歴と沿革 創業は三井屋 江戸明和6年以前。印章専門店は大正13年より本年100周年 | 元気いっぱい!! 和歌山泉南の本格派印鑑彫刻のはんや いんかん生活宮本印判店

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和歌山 泉南の本格派の印鑑専門店
いんかん生活宮本印判店
宮街道店は 2020 11月にオープン!!
来年で創業100年目を迎えることなります。  
定番の象牙、水牛からチタン印鑑 エコ材 貴石まで豊富。
本格的彫刻で安心 ご満足をお届けします。

 

 業歴と沿革 【江戸時代 三井屋時代】

弊社先祖の墓石群 側面の年号刻字はすべて
江戸時代の元号
正面の主墓 夫婦連名戒名の墓の土台石に
屋号「三井屋」の刻字
下写真 夫婦連名戒名墓に「三井平」刻字1基。
三井屋平兵衛(初代あるいは2代目)と伝わる。

写真 主墓 夫婦連名戒名 

 


 

戒名は「法橋玄昌」。刻字は「三井屋」の夫婦墓
下写真の「三井平」の刻字と同じ戒名。

夫婦連名戒名に「三井平」の刻字墓。
三井屋平兵衛(初代あるいは2代目)と伝わる。


屋号入りの夫婦墓 文政5年(1822年)

一般では墓石の表記は「個人墓」→「夫婦墓」
→「先祖代々之墓」
と推移していき、明治中期から後期以降は
「先祖代々之墓」が普及していく。

嘉永時代の主墓のみ「先祖代々之墓」であとは戒名
1.最も古い刻字は 明和6年4月(1769)
2.その次は 先祖から初代三井屋平衛兵と伝わる。

戒名、年代から明和6年墓は  2.の親の墓と思われる。
当時平均寿命は 
江戸時代中期:67.6歳  江戸時代後期:65.2歳
(中期は、1700頃-1750頃 後期は、1750頃-1850頃。)
寿命を65歳と仮定すると 

明和6年夫婦の生まれはおよそ1769-65=1704年頃
夫婦の遅い方が亡くなった時、または三回忌や
七回忌の法要時に建てられている可能性もあるという。
(弊社菩提寺、紀三井寺普門院住職談)

そうなればそれ以前の開業となる。
推定30歳から開業した(1734)として 
2024-1734=290
妥当な推定は業歴推定290年

最古墓の設立は明和6年(1769年)なので

2024-1769=255
少なくとも255年以上~290年

弊社 祖先の三井屋は油の商い(油問屋)を
行っていたと伝わる。
平兵衛の名(過去帳で確認)は 複数の同戒名なども
あり世襲と思われる。
明治以降 『宮本姓』
戸籍簿記載では
平蔵 平太郎 平一郎 昌彦 明彦と
「平」の文字が多く続く。

現存の弊社墓群

設立と思われる刻字は

明和、天明、寛政、文化、文政、天保、嘉永など。
明治以降の宮本姓の先祖は 嘉永の主墓
三井屋の屋号入りの嘉永の主墓に埋葬されている。

『宮本』の刻字は見当たらない。
先祖代々で三井屋、宮本を兼ねている。

 

 【油問屋経営の環境】 

【油問屋経営の環境】 
★江戸時代 明和期に商業システムが発展 
 弊社先祖の墓石も明和期より並ぶ。

大坂の油問屋の主たる目的は油の消費地である
京(伏見を含む)・江戸への油の販売
京口油問屋は元和2年(1616年)、
後者を目的とした江戸口油問屋は翌元和3年(1717年)
時代が下るにつれて前者は西日本での油販売を行っている。
この他に油問屋から油を購入して大坂市中や
西日本に販売をしたり・・の記述もみられる。
水油と種油を調合して燈油や整髪油を
製造したりした油仲買も存在しており、
明和7年(1770年)には大坂に250軒
存在していた。
(wikipedia 油問屋より)
これに対して少し遅れて成立したのが、
正徳年間に登場した出油屋と享保年間に
登場した種物問屋

江戸幕府も江戸への油供給にも影響する油問屋の
動向に関心を持ち、明和3年(1766年)以降に
油仕法を発令して油の製造・販売を
統制しようとした。
4年後の明和7年(1770年)に大坂の油問屋が
関与して株仲間その後も3国地域における紛糾が続き
文政年間には「国訴」と呼ばれる大規模な
油仕法への反対運動
その結果、天保3年(1832年)に油仕法の大改正
3つに分かれていた油問屋(出油屋7軒・京口油問屋2軒
・江戸口油問屋4件)の株仲間が統合されて
3者の区分が撤廃され、油寄所と呼ばれる
取引所を大坂・江戸・堺に設置した。
周辺部の絞油業者の需要に応えるために種物問屋の
堺・兵庫での設立も認められ、周辺部から江戸への
直接積出の一部解禁や播磨国での絞油業も
公認するなどの改革を行う。
墓のある和歌山市紀三井寺地区でも農家が菜種油を
絞って収入にする動きが発展。
(和歌山市史 第2巻 (近世) )
その他の資料でも 湯浅醤油、粉河酢、黒江漆器、
綛糸・木綿、蝋燭など紀州藩で発展した以外に 
在郷町の新しい動きに
和紙、高野豆腐、陶器、酒、砂糖、菜種油
あげられている。
この環境で、菜種油を扱う商いを始めたのではないかと
考えられる。
歴史書では『油屋』の表記も多い。


油屋のイメージ 三井屋の文字は加工
(元画 宝船桂帆柱 2編4巻 より自社で彩色)

 

 

屋号の【三井屋】の由来は

三井寺の三井 と思われる。

紀三井寺のHPでは以下の記述
紀州にある、つの戸のあるお寺。
紀三井寺は、日本名水百選「三井水」を
抜きにして語れません。
1250年の寺名の由来ともなった三井水は
今も名草山の懐に抱かれ、滾々と絶えることなく
湧き出しています。

【過去帳に「三井屋」の屋号も記載されている】 
左は文政5年12月7日
右は安政年間のもの。戒名と当時の施主名

屋号が記載されているので、亡くなった墓石以外の
子供達の戒名も判明した。

天保9年紀陽持丸鑑で前頭に掲載されていました。

全体の資料

(和歌山市史第5巻 巻頭写真より)


上記 持丸鑑の三井屋は 才賀と町名を記しているが

雑賀町であろうと思う。
現在の本店も和歌山市雑賀町で同じ町だった。
天保9年作持丸鑑に遅れること20年後の過去帳住所は
南桶屋町とある(兄弟、分家か一族であろう)

両地区は商人町として藩にも住所を管理され 
土地、家も保障されていた地区なので
引っ越したとは考えにくい。
よって複数店舗を内町地区に持っていたと思われる。

油や水など入れたり運ぶ桶もよく使用された時代

なので 桶屋と油屋の兼業企業かもしれない。


江戸時代関連ブログ 三井屋のあった場所など

 

 


【吉宗の享保の改革と菜種油】 

1716年、徳川宗家以外の出身者である
紀州藩 徳川吉宗が将軍に就任すると、
享保の改革に取り組む。
明和6年(1769年)の最古墓の夫婦の
生まれは平均寿命を65歳とすると
1704年頃 彼らが12歳の頃

紀州の殿様が将軍になった事実。


以下の商業事情が興味深い。
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東京には「江戸前」という言葉があります。
本来は江戸の前の海を示す言葉でしたが、
享保の改革によって上方と対比される文化の
言葉をして使用されるようになります。
当時、商業の中心は上方にあり、
特に日本酒、菜種油は上方が流通の中心を
担っていました。享保の改革を
実行したきっかけは、
上方の火事で江戸に紀州産
灯明用菜種油が入ってこなくなり、
江戸の夜が真っ暗になったことでした。
夜が暗くては物騒なので、
吉宗は房総半島で菜種を栽培させました。
それによって江戸の燈明用菜種不足は
解消されたようです。
享保の改革によって関東では菜種栽培、
濃口醤油の生産が拡大、江戸では濃口醤油を
使った寿司、ウナギの蒲焼(1700年)が
誕生します。
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引用(東京古美術仙遊堂さんのブログ参照
 2017年2月4日(土)に行われた骨董講座)

http://senyudo.com/kouza/kouza_35.html


寿司、ウナギの蒲焼の誕生の
きっかけの醤油も 湯浅醤油関連で
吉宗公が関係している可能性も

大変興味深い。

 

 業歴と沿革【印章店の環境】

 

★「国民皆姓」の動き
 明治の法令: 明治3年9月 <平民苗字許可令>
 明治8年<平民苗字必称令>により
 ここに日本国民は全員苗字を持たねば
 ならなくなり、いわば「国民皆姓」となる。

 明治11年(1878年)の太政官達第32号
 「府県官職・戸長職務の慨目」において
「町村内の人民の印影簿設置」が
 戸長(後年の市町村長に相当)の事務の一つとされ、
 以降の印鑑登録は自治体の長が任を負う自治事務となる。
 昭和22年(1947年)の地方自治法施行後も
 この原則は踏襲されている。
 
 1889年(明治22年)4月1日 - 市制の施行により、
 和歌山区の区域をもって和歌山市が発足。

 
 本格的実印需要や商業発展に伴うゴム印需要を
 想定し 大正13年(1924)
 和歌山市元寺町1丁目に
 印章店を創業。
 和歌山縣商工人名録1933では

 代表者が宮本平太郎(印章業初代)
 二代目の平一郎は神戸の印章店で彫刻技術修行。
 彫刻者兼経営者として大正13年(1924)
 に父と共に創業したと思われる。
 同年に長男誕生。
 のち 中ぶらくり丁を経て
 現在の和歌山市雑賀町113にいたる。


1931年 大日本塗装建材協会出版の
塗装ト建材 第二巻 巻頭の写真集に
看板が掲載されている

1933.1 和歌山商工会議所発行の
和歌山縣商工人名録P100に記載されている。   
業種 印材、彫刻 宮本平太郎(現社長の曽祖父)

『お客様の笑顔とともに』

【家訓1 平一郎】
『いい仕事を残せ! たとえ金額と納期で怒られても。』

【家訓2 昌彦】
『損して得取れ』

【家訓3 明彦】
『常に目的と目標 その違いを意識して行動』
 -この行動は何のためにしているか?-

■3代目 宮本昌彦 商店街と丸正百貨店出店と得意先拡大

■4代目 宮本明彦 イオンモールの郊外型SCに出店
 得意先納品を脱却し路線変更。車社会への変遷
 イオンなど駐車場のある商業集積地に出店。

   
■本店 和歌山市雑賀町113
 
イオンモール日根野店 1995 4月オープン

■イオンモールりんくう泉南 2006 9月 
        ワゴンショップにて短期催事

■いんかん生活 イオン東岸和田店 2007 4月オープン

■いんかん生活 イオンモール和歌山店 
 2014/3/16 4月オープン

■いんかん生活 イオン東岸和田店 
 2019 8月全館改装で休業 
 リーシングの関係で出店せず

■いんかん生活 和歌山宮街道店 2019 11月オープン

イオンモール日根野店


イオンモール和歌山店

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参考書籍と資料は以下

■墓石が語る江戸時代: 大名・庶民の墓事情
 (歴史文化ライブラリー)単行本  2018/3/16 
著者 関根 達人

■和歌山市史 第2巻 (近世) - 346
■和歌山市史 第5巻 (近世) 巻頭写真


■和歌山縣商工人名録1933.1 
和歌山商工会議所発行P100に記載   
業種 印材、彫刻 宮本平太郎(曽祖父)

■塗装ト建材 第二巻 巻頭の写真集に
 弊社看板1931が掲載されている
 タイトル 塗装ト建材
 出版地 東京
 出版社 大日本塗装建材協会
 出版年月日等 1931-06
 資料製作者 国立国会図書館

■城下町和歌山百話 三尾功

 出版社. 宇治書店 · 発売日. 2001/8/1 

■「城下町の風景」
 ニュース和歌山協力
「城下町の風景」は『紀伊国名所図会』に
 彩色が施されています。


■紀三井寺
https://www.kimiidera.com/sanseisui/

宝船桂帆柱 2編4巻(国立国会図書館)
著者・編者 十遍舎一九 作 一遊斎広重 画