徳島県美馬市美馬町

その昔

この界隈の郡里地区は
和傘の里と呼ばれた場所です



郡里町史に残される
昭和30年以前の写真たち

見開きで
この写真が載って居る

今は昔
この景色を知る人は
殆ど居なくなっている
 
 


 
この写真の素晴らしい所は
全ての工程を見せる事が出来ている

余程の知恵者が作ったのかと
思ったりしてしまう

そして
その知恵は
60年以上経った今
ちゃんと意味を伝えている



左上より時計周りで言えば

轆轤師   傘轆轤製作
 

 骨師  手前は骨の穴開け 後ろは骨の小割


 繋ぎ師  傘骨繋ぎ 


 張り師  天井張り


 仕上げ師  攻め入れ仕上げ


 張り師  胴紙張り


 仕上げ師  傘骨上及び胴紙の着色
 

 繰り込み師  轆轤と柄竹の繰り込み




そして背景の写真は

 仕上げ師  傘干し
 


昔の写真には
当時の空気感の中に
様々な知恵が見えます

そして
それを残そうとした人の責任感なども垣間見れます







郡里町史(徳島県美馬郡美馬町)
編集・発行者  郡里町史編集委員会
発行  昭和32年


和傘の産地ならではの町史です( 'Д`)

この写真を編集した人に
御礼を言いたい位の
貴重な資料です( 'Д`)

 
 



よく調べるね
と、言われますが

「傘屋ですから」と、答えます( 'Д`)


伝統を口にする者が
先人に学ばずして何が伝統か?

知ったふりはいつでも出来ます
自分大好き自分の作る物にしか興味が無い
って人さえも居ます

それでも

自分たちの今の技術は
自分一人で考えついた物など何も有りません

だからこそ

先人たちに感謝をして
その知恵を貸してもらわなきゃ何も出来ません( 'Д`)

なればこそ

調べる事は当たり前の事で
調べぬ事は恥ずべき事

なのだと
己には課してます( 'Д`)


自分が憧れた先人は
守破離を重んじる人だった

その憧れを持つ己が

守破離の守さえも知らぬ馬鹿にはなりたくも無いと思います( 'Д`)


守を知らず
破や離ばかりしか無い

勘違いの天上天下唯我独尊などと唱える気も有りませんので( 'Д`)



 
現在

この徳島県美馬市で
和傘に関わらせて頂いてます。


呼んで頂いた恩に報いるのは
傘屋として傘屋が出来る事をやる事なのだと思います( 'Д`)