和傘作り
資料を読み解きながら
諸々と考察する( 'Д`)
写真は昔の物です(笑)
何も絵が無いのでとりあえず(笑)
さて
現在、日本の和傘作りの
中心地は岐阜県です( 'Д`)
その昔は
岐阜の他にも
三重、福岡、和歌山、香川など
大きな産地は沢山有ったが
やはり岐阜県はダントツで多い( 'Д`)
先日、和傘な資料でも紹介した
の中にも
大正14年の商工省の統計が引用されている
全国の生産量の1/4程が実に岐阜県の生産だ
47都道府県での総生産量の1/4って(^_^;)
一覧中
第2位は福岡県との差も約3.4倍(^_^;)
なんやか凄いです(^_^;)
まあ、
日本中の傘屋の中に
どれ程正直者が居たのかは不明(笑)
まあ商工省の統計なのだから
本来なら数が有ってなきゃダメなのだけど
届けてない数字も昔は多かったんだろうなあ(^_^;)
各地で
自称 和傘の生産数が岐阜に次ぐ第2位
と、言う言葉を使う( 'Д`)
まあ
生産数が桁違いなので比べられぬ故に
日本一は言えやしないやね(^_^;)
あ、因みに
僕の故郷の岡山は21位でした(^_^;)
そんなに傘作りの人が居たってのに驚きました( 'Д`)
その人達の歴史は一体何処に消えたのだろう(>_<)
まだまだ調べなきゃいけない事だらけなのを改めて思います( 'Д`)
資料の数も岐阜はダントツで
ここで紹介する資料の大半は岐阜の資料だ( 'Д`)
何故
こんなに岐阜が多かったのだろう?
岐阜県岐阜市加納
加納藩 加納城を中心とした地域は
江戸初期頃の寛永16年頃から
和傘の産地だと言われます( 'Д`)
藩政時代に家臣への内職として傘製造を始めた事が大きいのだと思ったりする( 'Д`)
で、
岐阜の話と見せかけながら…
この寛永16年
岐阜が和傘の産地になった理由があります( 'Д`)
この年
加納藩主 松平(戸田)丹波守光重が
播州明石より移封された際に連れてきた
傘屋金右衛門が岐阜の傘作りの始まりとなります
さて?
て事は
播州明石藩では和傘作りがされていたって事
これに関しては、
あまり取り上げられてない( 'Д`)
てな事で
長期計画で播州明石の事など調べたいと思います( 'Д`)
が!
明石藩の資料が残ってるのかは不明(>_<)
誰か知ってる人居ないですかね?( 'Д`)
他にも
各産地の和傘作りは
岐阜と同じ様に藩主の国替えが始まりな事も多いようです( 'Д`)
因みに各地の傘作りの始まり
洋傘タイムズ の資料によれば
平安 寛平年間(889~897)
紙張りの雨傘が大阪近辺で生産
室町時代(1338〜1573)
奈良・大乗院に
『唐傘座(からかさざ)』という傘の職人組合
1570年代(秀吉の頃)以前
大阪 高津での傘作り
安土桃山時代
文録年間(1592~96)頃
福岡での傘作り
戦国時代(1600年前後)
藤堂高虎が伊賀領内で傘作りの推奨
江戸時代
元和元年(1615)
紀州 徳川頼宣が赴任し、傘工を入国させる
これは駿府(静岡)から連れてきたか?
同時期
広島 安芸藩では紀州より傘工を移住させる
寛永12年(1635)
岐阜 加納藩が播州明石より移封
ここで岐阜の傘作りの始まり
寛永年間(1624~45)
高岡(富山県高岡市)
前田利長が傘の生産を奨励
元禄年間(1698~1703)
加賀 新潟 熊本などで傘作りが盛んに
う〜ん( 'Д`)
出てこない( 'Д`)
日本の和傘作りの源流
何処なんやろう(>_<)
まだまだ
和傘の迷宮に迷いまくりです( 'Д`)
と、
中途半端に終わります
次回は未定(^_^;)