これは母が昨日電話で言った言葉。
ようするに寝る時、明日起こるだろう、素晴らしい事を想像しながら寝なさい(^-^)
ということ。
昨年辺りからの母の言葉は、私が常日頃言っている思考とよく一致する。
元気づけられることが何度もある。
私達の世界を理解してみよう、と思ってくれてたのか理由は解らないが、
確かに母は変わった。
でも、たぶんいつまでたっても本当は心配なんだろうし、
それでいて、私達の成功を心から楽しみにしてくれているんだろうな。
自分の限界を決めているのは誰でもない、自分自身だし、
なりたい自分をイメージすればなりたい自分になれたりする。
なれるというより、自分がそういう行動をするようになるから自ずと近づいていく。
憧れの人に近づきたいからいつも、その人を思い浮べ、
行動や仕草、言葉遣いという外見部分を真似たり意識するのと同じ(*^_^*)
っていえば、とっても解りやすいかもしれない。
どれだけビジョンを鮮明に思い描けるか。
向かう先が明確だと、アクシデント、障害、壁、にぶつかっても
『この壁の向こうに行く方法』を一生懸命考える。
このような建設的、もしくは生産性のある考え、これを前向きと言う。
条件も同じ壁を目の前に、かたや、一生懸命方法を考え、
原因を探り失敗した理由を探り、最適なやり方を探し、
かたや、壁の大きさや乗り越えるに予想されるしんどさを嘆く事にとらわれ、
自分には無理だ、~がないから無理だ、~しても無理だろう…と、
自分で自分の力を抑えてしまう。
本当にその壁の向こうに行かなくては困る理由があれば、
最後には大声で助けを呼ぶなりして、何としてでも越えようとするはず。
この業界(競技の世界等も同じく)は、自分の持っているものに対して報酬が決定する。
報酬がもらえるようになるまでは、習得の時間だったり、
時にはお金だったり、何かを犠牲にする。
(それを犠牲と思わない人だからやっていける)
成功したとき手にするものが大きい世界ほど、
それを手にする為に必要なものも増大する。
家族が理解してくれない、賛成してくれない、協力してもらえない…?
人を納得させるには、まず自分に揺るぎがないこと、
舞台人(人々がお金を払ってまで観たいと思う人物、
または能力であり、舞台を通して夢だったり、
勇気だったり元気だったり、感動だったり…を与え続ける)なら
そこに立つに相応しい自分かどうか。
または、そうなる為の意識を持ち続けること。
…だからこそ自分に厳しいのだ。
思考(或いは言葉)は間違いなく、その人の能力や行動を支配する。
物事のとらえ方は、とっても大事だ!と改めて思う今日この頃…。