世界女性器切除根絶の日(2月6日 記念日)

こんにちは。神木保祐(かみきほゆう)です。

 

今日は何の日は、世界女性器切除根絶の日。

 

デイープな話題ですね。嫌な方はご注意ください。

 

昨日も書いていていますが

お皿に乳房はYouTubeでバンされます? | 魔女の隠れ家 (ameblo.jp)

〉意に沿わぬ相手に対して、どこまで残虐な行為ができるのか?

という、事を考えていて、思ったことが一つありました。

相手を自分と同じ人間として見ていない。

自分より下にみていて、自分が何をしてもよいと思っている。

自分の敵ならば何をしてもいいという事ですね。

相手に対する尊厳とかそういったものに対る配慮や想像力の欠如なんだなって。

哀れみ、優しさとは皆無。

こういうことに気が付いた時、とても悲しい気分になりました。

 

 

世界女性器切除根絶の日。文化の定義は

  1. 社会を構成する人々によって習得・共有・伝達される行動様式ないし生活様式の総体。言語・習俗・道徳・宗教,種々の制度などはその具体例。文化相対主義においては,それぞれの人間集団は個別の文化をもち,個別文化はそれぞれ独自の価値をもっており,その間に高低・優劣の差はないとされる。カルチャー。

 

のようです。

人間集団、グループで通じるルール、約束事ってことなのかなって最近思う。

文化の側面にも良いものと悪いものがあって、良い文化は称賛される、続いていくのだと思う。

その集団があまりにも偏りが酷くて、世間といわれる中央値から外れた行いをしていると待った!が入るのかな?待った!をかけるのが誰なのかってことなんだけれど。

これって、どこの人間の小集団でも、例えば身近な友達や、ママ友、町会でも起こりうる事だと思うのよね。

その集団に物申すか、自滅するのを待つか、逃げるが勝ちしかないのかな?と、最近思った。

最近は、めんどくさいので基本的には逃げるが勝ちかな?と思う。

逃げられない関係性なら、戦う…?抗うしかないんだろうな。

大概、相手は自分が絶対に正しいと思っているから、間違っているとは認めないと思うから、相手に間違いというか「私は嫌だからやめてくれ」を尊重してもらうのってとっても大変だと思う。

自分も同じことをしてるかもしれないから、相手の自由意思を認められるよう、配慮や想像できる人でありたいな。

 

 

2012年(平成24年)の国連総会で制定。国際デーの一つ。

英語表記は「International Day of Zero Tolerance for Female Genital Mutilation」。日本語では「女性器切除の根絶のための国際デー」とも表記される。

アフリカを中心に行われている女性器切除(Female Genital Mutilation、略称:FGM)の風習について広く世界の人々に認識させ、その撲滅を促進するための日。2003年(平成15年)にナイジェリアの大統領夫人であるステラ・オバサンジョの提案で始められ、国連人権委員会で国際的な啓発デーとすることが採択された。

世界女性器切除根絶の日

女性器切除は、女性器の一部を切除あるい切開する行為のことで、成人儀礼の一つである。大量出血、激痛、様々な感染症などを引き起こす場合があり、国際社会において、特に1970年代頃から著しい女性虐待であるとして非難の声が強く上がっていた。

 

女性器切除(じょせいきせつじょ、英語: Female Genital Mutilation, FGM;「女性性器切除」とも表記する)あるいは女子割礼(じょしかつれい、英語: Female Circumcision)とは、女性器クリトリス切除を中心に、小陰唇を切除したり、大陰唇を縫合したりする行為である。アフリカを中心に行われる風習であり、通過儀礼のひとつである。

麻酔も無く行われることで死者も多発する。この風習では、どのパターンでも必ず性感帯であるクリトリスを切除するので、性行為に女性が快楽を感じることを悪とする考えの下で女性差別かつ児童虐待であると批判されている[1]。なお、男性器の包皮切除を行う男子割礼と同等の儀礼であると捉える場合では「女子割礼」の語が主に使われる。