年内には区切りをつけたいトルコレポ 遂には第3弾でございます。
今回は
カッパドキアPart2 ~カイマクルの地下都市編~
まずは前回の記事を読んでいない方は読んでいただけるとありがたい!
http://ameblo.jp/wadaken/entry-10006909420.html
前回の記事からもわかるとおりカッパドキアの地は古くから人の棲み家として利用されてきました。
その理由としては、火山灰からなる石灰岩の土地は簡単に削ることができ、しかも空気に触れることで驚くほど頑丈な壁となり、人は自由にその住居を加工できるという利点があったためでした。
事実、カッパドキアには多くの人々が暮らしてきた歴史があります。
そしていたるところでその形跡、その姿を目にすることができます。
ちょっと遠いのでわかりづらいとは思うのですが、写真の中央にそびえる壮大な岩山。その名も
「ウチ・ヒサール」
気の遠くなるぐらい昔、紀元前1700~1100年頃、人類史上初めて鉄製の武器を使用し、メソポタミア諸国家を席巻したヒッタイトの民が、城として使用したとされる自然が生み出した要塞。
そして、私達が訪れたとある遺跡
人々がカッパドキアに暮らしてきた足跡を残す遺跡の中でも最も有名とも言われるのが
カイマクルの地下都市
その歴史はまだはっきりしたことはわからないのですが、宗教的価値観を守るために人々が隠れ住んだ都市と言われています。おそらくは5~7世紀にササン朝ペルシアがこの地方に進出したとき、あるいは、622年から始まったイスラム教のジハード(聖戦)などが関連しているとも言われています。それまでは東ローマ帝国(ビザンティウム帝国=キリスト教)がこの地を支配していたので、異なる宗教観を持つ国家(ササン朝ペルシア=ゾロアスター教やウマイヤ朝=イスラム教)の進出の際に、その支配を逃れるために作られた遺跡とされています。
※支配といっても初期のイスラム教はキリスト教には寛大であったはずなので何とも・・・??
色々と諸説はあるのですが、とにかく人々が隠れ住んだ秘密の街、それがカイマクルです。
私達が入った入り口は岩肌に隠れるようにポッカリとあいた洞窟のようなものでした。(入り口は沢山あるらしい)
中は全体に照明が張り巡らされ明るくなっていますが、昔はろうそくの灯だったと思うと複雑な気分です。
基本的には上の写真のような通路が地下全体に張り巡らされています。そしてその所々に部屋がありそこからまさにアリの巣のように通路と部屋が入り乱れています。
都市内にはいたるところに換気のために穴が空いいる。それらの穴は換気以外にも用途があるようだ・・・それは外敵の侵入を監視する窓の役目なのか・・?
住民達は常に外敵の侵入に気を配っていたことがわかる石の扉。敵が侵入すると、この石をずらすことでで通路を防ぎ時間を稼いだらしい。
多くの部屋には無数の穴があり、それは換気口であったり窓であったり、次の空間とを結ぶ通路であったりもする。そのどれもが何らかの空間に繋がっておりまるで迷路のように果てしなく続いている。
カイマクルの地下都市の深さは地下8階とも10階とも言われている。観光用に開放されているのは地下4階までだが、それでも迷子になりそうなほど広大であり、実際に迷子になってしまう観光客も多いそうだ。
地下には貯蔵庫であったり、ブドウを発酵させワインを作る部屋であったりと様々な用途の部屋があり、地下での生活を可能としている。
通路は何も広いとは限らない。外敵の侵入時に時間を稼ぐという意味もあるのだろうか?狭い通路もたくさんある。
気を抜くとすぐに天井に頭をぶつけてしまう。カメラ小僧の友人Nはこの地下都市に住むのには適していないらしい。 苦しそうな顔だ・・・
広々とした空間も勿論ある。だが広い部屋は観光客で一杯だ・・・
部屋数は一体どれぐらいあるのだろうか?このような地下に住み、精神的に安定した暮らしが出来るのだろうか?カイマクルの地下都市は少し不気味な雰囲気に包まれた、それでいて神秘的な空間である。
観光の名所でもあるわけで観光客は当然沢山いる。狭い通路を通るときは大渋滞である。
地下都市・・・と言うくらいなのでその構造は上下構造になり徐々に地下深くへ続いていきます。上の写真は下の階層にいる一緒にトルコを旅行した面子です。ちなみに、この穴は本来は槍で相手を突くために空いているとされています。
カッパドキアにはこのような地下都市が数多く存在し、その全てが繋がっているとされています。都市の広大さは半端ではなく最盛期には10万人が暮らしていたとも言われます。その多くがキリスト教徒であり、密かにキリスト教を信仰していたものと思われます。
実際にカッパドキアには洞窟と同化したような教会、修道院が沢山ありその痕跡をいたるところで見ることが出来ます。
時間の都合で私達は訪れることが出来ませんでしたが、広大な博物館である「ギョレメ野外博物館」や洞窟教会である「トカルキリセ」で、当時の面影を見ることが出来ます。
多くのキリスト教徒の隠れ里であったカッパドキアでしたが、イスラム教が浸透するにつれ、そこに住む人々は少しづつ減少し、かつては10万人もの人々が暮らしてきた地下都市は巨大な謎の空間としてその地に残ることとなりました。
カッパドキアという土地と歴史とが生み出した神秘の地下都市カイマクル
もう一度訪れてみたいものです。