福島県の相馬市と南相馬市に行ってきました
ちょっと長い内容になります。
伝えたいこと、見て欲しい写真がいっぱいあるから。
スマホや携帯で読んでくださっている方
読みにくくて、すみません。

さて、今回は前にも書いたように
津波でも流されなかった
神社復興のための協力が目的に出向いたわけです。
とにかく、実際に現地を見て、
そこでがんばる人たちにお会いしたかったのです。
そしてもうひとつ。
震災直後に比べると、だんだんと意識が向かなくなってきている
現地の被災状況をどうしても年内に見ておきたかったのです。

と、言ってもこれはあくまでも自己満足。
私が一人行って何ができるということない。

でも、自分を満足させることさえできないなら
きっと、そこから先への行動も生まれないから
「自己満足でもいいんだ」と自分に言い聞かせて
福島行きの新幹線に乗り込みました。

福島駅に朝8:00に
流されないで残った神社の調査をしている
熊谷航さん(測量などをするお仕事されています)と
合流して、熊谷さんの車で相馬市に向かいました。

今回、同行してくださったのは
神社プラスワンメンバーで
今回はカメラマン担当の松下さんと
NHK福島から取材でいらした松村さんです。
NHKさんは、私と熊谷さんが、その辺りの神社を巡るという
情報を知って、番組になるかまだわからないけれど
カメラにおさめたいということで
急にいらっしゃることになったのです。

この日、私が回った神社は以下になります
いずれも、津波がぎりぎりのところまできて
引き返し、残った神社になります。
(時間が限られていたので、すべて回れていません。)

●津神社(相馬市)
●川口神社(相馬市)
●八竜神社(相馬市)
●寄木神社(相馬市)
●八龍権現祠(南相馬市鹿島区)
●照崎神社(南相馬市原町区)
●稲荷神社(南相馬市原町区)
●相馬太田神社(南相馬市)

相馬市に向かう途中で
「ここからが避難区域ですよ」と熊谷さん
放射線の高いエリアになっていきました。

ところどころで除染作業をした箇所が見つかりますが
ほとんど人が住んでいない状態の
無人の家が続くなか、避難しないで
そこにまだ住む人たちの家がぽつぽつ見えます。
洗濯物が干してあるのでわかるのです。
でも、残っている方はほとんどが
おじいちゃん、おばあちゃんで
若い人の姿はまったく見えません。

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「原発の問題よりも、今、とにかく除染が先なんです。
 けれど、除染作業っていっても
 家の周りだけ除染して、その周辺の道もなにも除染しないって
 正直、家から出るなってことなんです。
 それで、除染して削った砂が
 ああやって、積まれたままになる。あの
 青いのは全部、除染した後の砂。除染といっても
 汚染された砂を家前から近くの空き地に
 移動しただけなんです。」と
 熊谷さんが言いました。

積まれた砂
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そして、避難区域、20キロ圏県内に車は入っていきました。


【津神社(相馬市】

ここは被害が少ない神社です、神社の直下まで津波がきていてすべて流れています。
しかし、この神社から上のほうは一切被害がありません。
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【川口稲荷神社(相馬市)】

海を見おろししている神社です。漁師さんの守り神様です。
周辺のいったいは、すべて流されていますが、神社のところは
緑色のフェンスに波があたって引き返した後がくっきり残っています。

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【八竜神社(相馬市)】

津波は、神社の両側にきていますが
神社は残っています。周囲はすべてが流された後です。
神社の前には家が残っておりこの地点がやはり境目になっています。
ここで私たちに声をかけてくださったのは、この神社の氏子さん。
「先祖代々、この神社の氏子をして、神様のお世話してるけれど
 私の家ここより奥にあって、無事でした」と。
 親から子へ受け継がれる「氏子」さんという存在が
 遠い昔から神社を存続させているのです。

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【寄木神社(相馬市】

被害の爪痕が無惨に残る光景が続くなか、さみしげに
ぽつんとありました。寂しい景色を見たせいか
海風がとても冷たく感じました。やはり、神社の参道(階段)
の上まで波がきて、そこから引き返していました。境内は
浸水した後が残っています。ここも漁師さんが拠り所にした
神社です。

周辺の様子 遺跡のようです。

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津波はこの後ろの階段を登ってきて、ぎりぎりのところで引き返してます
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【八龍権現祠(南相馬市鹿島区)】

周囲はすべて流されているのですが
これが参道だったのかという草まみれになった
場所をのぼっていったところに神社が残っていました。
お社の前にクマのぬいぐるみがさみしげに置かれていました。
ご家族を捜しにいらした方が置いていかれたのでしょう。

どこになにがあったか丁寧に説明してくださる熊谷さん
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鳥居の折れたところ

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【●照崎神社(南相馬市原町区)】

平地にあった神社です、こちらも他と同様に
神社の右側は流されて、左側から残っています
鎮守の森があったおかげで
神社は無事だったようです。
熊谷さんが、流されないで残った神社を
残さないといけないと、強く思ったのは
ご社殿の階段に誰かが書いておいていったこのメッセージを見たからでした。


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【稲荷神社(南相馬市原町区)】

たくさん復興しないといけない神社はあるのですが
今回はこちらの神社復興からということで
寄付をさせていただきました。
こちらにはこの神社をお守りされている
もと、役所にお勤めで定年退職されている
林さんという方が、ほぼ毎日ボランティアで
地元住民の方のさまざまな相談に乗り、お仕事を探したり
お仕事を作ったりと、行政ができないことを
かなりお一人でされています。
震災後、南相馬市の職員の方が激務に耐えきれず、約150人くらい
退職されていて、人が足りない状況なのです。
他県から派遣されてきても1ヶ月や2ヶ月で戻ってしまうために
地域のことがよくわかってもらえないとおっしゃっていました。

「人がいないから
 私にできることするしかないんです」と
林さんは、笑顔でおっしゃいました。

しかし、林さんも震災でご家族をなくされています。




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林さんは来年から
家が流されたあとで
空き地になっている土地を安く借りて
畑をつくって、みんなで葱をつくって販売するそうです。
自分たちで仕事をつくって
雇用をつくっていこうとされています。
いろいろと農作物を自分で
研究して、夏葱は関東で一番高く売れると
判断したそうです。
「金もないしね、自分で考えてやるしかない」と林さん。

けれど、
地盤沈下して下がった土地に土を置かないといけないのだけど
まだその土をどこからもらってくるか
決定していないし、他にも問題は山のようにあるし
やらないいけないことも山のようにあります。

けれど、そんななか
林さんは神社の復興を後回しにはできないとおっしゃいます。

「日本人にはここが拠り所が必要なんです。
 この土地を守ってくださる神様を
 まずはちゃんとしないといけない」

林さんは活動にかかる経費をすべて自己負担されています。
そして、義援金は、一円も林さんたちに届いていません。
義援金に関しては、浦安市で花火大会に使われたりしたことが
判明していますが、
福島でも会津地方でイベント会社と行政が絡むケースがあり、
福島の各地で盛んに行われた花火大会にも
かなり義援金がまわっているという話でした。
これらはすべては裏がとれていない情報なのであくまでも現時点では
「うわさ話」となってしまいますが義援金が通常の市町村の予算になってしまい
復興や震災に関係ないところで使用されたことは概ね事実だと私は思います。


【相馬太田神社】

ここの佐藤宮司さんが
このあたりの神社31社を担当されています。
震災があった年、毎年恒例の相馬野馬追祭りは
もうできないとあきらめていたときに
氏子さんたちが家をなくしたり、ご家族をなくされているにもかかわらず
「今年の祭りはどうしますか?」と聞いてくださったことがきっかけで
去年は御祭りをしたのだそうです。相馬市の方たちは
神社と伝統の御祭りを継承することをすごく大事にされているのです。
佐藤宮司とは
なにかここに人が呼べる
イベントができないかと
話し合いました。

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話がずいぶんと長くなりました。残った神社はすべて
明治以前に建てられたもので、古すぎていつの時代かわからない
ものばかりです。

今、神社復興をすることは

●昔の人を教えを継承すること(津浪がこない避難場所になる)
●人々の「拠り所」を残すこと
●地元の活性化

そして、
一部の人の間には「もう終わったこと」になってしまっている
震災と復興への意識を向けることが目的です。

とてもとても大事なことなんです。

林さん、佐藤宮司、熊谷さんで
神社復興のためのチャリティーをされています。
ご協力いただければ嬉しいです。

↓ ↓
チャリティーのページ】

また、来年
行きます。葱ができる頃には。
葱ができたら、林さんに
葱を食べさせてもらう約束をしたのです。
皆さんも、相馬市が産地の葱をどこかで発見したら
自分たちで、どうにか仕事を生み出し、
必死でがんばって生き抜こうとされている林さんや
周囲の人たちをの気持ちを葱とともに
味わってみてください。


まだまだ写真もお話もあるのですが
もう長過ぎるのでここで終わります。
こんな長いブログを
読んでくださってありがとうございました。