すごく落ち込んでいて


「人生の底だ」と思うような人がいるかもしれません。


私の周辺でも

嫌なことが重なったり

期待していたことが

急に消えてしまう人もいらっしゃいます。



何かを伝えてあげたいけれど

私が何を言っても

無責任になるんですよね


その人の痛みは

その人のものだから。

人にはわからないのです。


けれど

「お前になにがわかるんだ!」と

言われることを覚悟して言うとすれば

「幸せ感度」が高くして

「悲しみ感度」が低くして

生きていくことだと思います。



ご飯が上手に炊けただけでも

最高に幸せを感じる人もいれば


たまには外食したいのに・・・と

不満になってそれに気が付かない人も。


怪我をしても

まだ歩けてよかった~と思う人も

最悪だ、あいつのせいで怪我したんだと

思う人もいる


基本に陽転思考がいつもあるのですが


同じ物事みても

感じ方が違います


五木寛之先生と対談させていただいたとき


「昔、半畳に6人くらいで

 折り重なって寝てたり

 ろくに食べるものもなかったことがあります。

今、とても辛いことがあると

いつもその60年前にもどって

あの頃よりも随分と幸せだと思うのです」


というようなことを

おしゃっていました。


病気をして

余命がいくばくかの方であれば

その落ち込んだ人に


「なに言ってるの

 生きているだけすごいんだよ

 健康なだけでも

 すばらしい幸運よ」と言うと思います。


だから、幸せも悲しみも

その人の「感度」によって変ります。

その「感度」は

感謝×経験で上がっていくような気がします。


今を感謝できないと

もっと辛くなると私は思うのです


感謝して

この経験を生かして

生きていこうと思ったときに

「幸せ感度」があがるような気がします。


そして

好転します


(焦らずにすぐに結果を求めないことです)


仕事に関していうと


一つがだめだったということは

もっと他に道があるよという

メッセージだと思うと思います。


私は営業も

他に仕事がなくて

いやいややったことだったけど

それが人生を変えたから。


しかし、これは私の

あくまでも主観です

人に押しつけることは

したくないです。



けれど、今私は

スィッチが切れたら

他の電気がつくと

私は思うのです

ごくごく自然に

当り前に、そう思えるのです。


これは、

何年もかけて身に付いた

陽転思考のたまものかもしれないです。


さて、落ち込んだときは笑うことです


 「幸せを求めるためにも

 苦悩から逃れるためにも

 笑顔は不可欠な条件である

 楽しければ笑い

 苦しければもっと笑い

 どちらでもなければ自然に笑っていればいい」


 浅田次郎さんの言葉です。


 落ち込んでも

 笑って欲しいと私は思っています。

だから「まんじゅう語」使っているのです。


 

  わだひろみ