長い間ブログを放置していたら、いくつか質問が来ていた

簡単に答えられるものだけ返事をする

日本人は弱者に優しくなったかという質問だが、戦国時代と比べたら優しくなったのかもしれない

日本人が弱者に優しくなったのは綱吉の時代からのようだ(井沢元彦氏との共著『汚名返上』を参照してほしい)

小学校のお受験についてだが、私自身は合う子と合わない子がいると思うし、中学受験ほどは役に立たないと思う

中学受験を有利に進めたければ、私立の小学校に入るより、4年生で中学受験塾に入る前に親がどんな教育ができるかが大切だろう

近々、中経の文庫から、大学受験に役立つ中学受験術の本を出すから参考にしてほしい

さて、いちばん多かったのは佐世保の事件の件だ

アスペルガー説とか、うまれつきの素因とか鋭い指摘があった

実は、テレビや週刊誌、夕刊紙など私のところにもいくつも質問が来た

とくに初日はすごかった

ただ、情報がろくにないところで、答えて、新たな情報が出てきても、恥をかくだけなので、今回はほとんどパスさせてもらった

案の上、取材のあとに、母親の市や父親の再婚などさまざまな情報が入ってきた

一つだけ言っておきたいことがあるとすれば、子どもなのに、あんな残酷をしたのではなく、子どもだからあんなバラバラのようなことをするという側面があることだ

これは酒鬼薔薇事件での福島章先生のコメントだったが、その通りと思う

さて、テレビを見ていると事件再発を防ぐために、少女の心の闇を知るのが必然だとしたり顔でいうコメンテーターがいる

なんという偽善

そんなことで再発できると本当に思っているのだろうか?

心の闇を知ったところで、それに対して、たとえば、親が離婚した際のカウンセリングなどを充実させるとか、なんらかの対処をしないと再発の予防などになるはずがない

視聴率のために少女の心の闇のあてっこをしていると正直にいうべきだろう

さて、再発予防の観点からいうと、原因追求は何の役にも立たない、むしろなんのためにやったかを考えるべきというユニークな心理学者がいる

それがアルフレッド・アドラーだ

交流分析のエリック・バーンや認知療法のアーロン・ベック、欲求階層論のアブラハム・マズローそして、カウンセリングの父、カール・ロジャーズ、自己啓発の父デール・カーネギーに強い影響を与えながら、その業績が長い間葬られてきた不思議な心理学者だ

劣等コンプレックスの概念を生み出した人なのに、ユングの死亡記事には、ユングが劣等コンプレックスの産みの親ということになっていたらしい

余談はさておき、アドラーは非行少年の治療において、原因をあれこれ探るのでなく、何のためにやるのかという目的を重視した

人前で叱ることは、その子の注目を集めたいという目的を満たしてしまうから逆効果だというのがアドラーの考え方だ

アドラーの考え方が正しいのなら、この事件でも、彼女が、自分の不幸をみんなにわかってほしい、みんなの注目を集めたいと思ってやったとすれば、今の大報道は逆効果ということになる

おそらく、それは当たっていると私は思っている

酒鬼薔薇にあこがれて犯罪をしでかす同じ世代の子どもたちも、同じように目立ちたいのが目的なら、同じ世代の病理を突き止めるより、こんな事件を起こしても、マスコミは報じないよという姿勢をとったほうが、はるかに再発予防につながる

いじめ自殺と言われているものも、大報道をするとかならず、その歳の小中学生の自殺が増えている

多い時には、前の年の7割増しである

自殺をすることで、ヒーロー扱いをうけ、いじめっ子のほうが断罪されるなら、そうする人を誘発するのは想像に難くない

実は、アドラーの考え方が最近面白いと思うようになったので、それなりにアドラーの日本語訳されている著書をおおむね読み直して本を出した

『比べてわかる フロイトとアドラーの心理学』(青春出版社)

http://www.amazon.co.jp/dp/4413044304/

だある。同時代人の森田正馬との類似性も指摘している

ぜひ、読んでほしい

さて、国連も自殺報道のガイドラインを出しているが、先進国では日本だけが無視している

ただ、私は、これはマスコミの無知のためだと思っていた

6月29日に、新宿であった安倍首相の集団的自衛権行使への抗議自殺について、どの大マスコミもほとんど取り上げなかった

海外メディアは大々的に取り上げ、日本の報道規制を批判するメディアも少なくなかった

NHKは「政治案件だから」と答えたそうだが、一部のマスコミは、「自殺報道が自殺を誘発するから」と答えたようだ

だとすると、これまでの「いじめ自殺」を含め、有名人の自殺報道は何だったのだ?

自殺が増えることを知っていて、わざと大々的にやったのだったら、確信犯だし,人殺しである

実は、『テレビの大罪』という本を書いた際に、もともとのタイトルは『テレビという殺人鬼』だったが、さすがにやめとけという話になってしまった

このタイトルで、自殺報道ややせ願望の助長、でまかせな健康常識を報じること、そしてアルコールやギャンブルの広告規制を無視して大量の依存症者をだしていることなどなど、テレビがどれだけの人間を殺しているかを書こうと思ったのだ

この企画に乗ってくる出版社があれば、いくらでも話を進めたいが