昨日は、また、例の中国人ジャーナリストの方との対談

この本は面白くなる自信がある

日本人は、相手の国の人間のメンタリティを考えずに外交を行うという問題が指摘された

私も、そう思うので、この対談を引き受けた

今の日本では、中国と韓国をいっしょくたにして見ることが多いが、メンタリティがかなり違う

両方ともメンツにこだわる国民性なので、日本からの謝罪にこだわる

ただ、中国の人間は、謝罪してくれて、顔を立ててもらえると、それに恩を感じる

韓国の人間は、謝罪を受けると、恨の感覚が高まるので、もっと謝罪とか、賠償を要求するようになる

中国人は、昔のことでカネカネいうのがかっこ悪いと思うところがあるので、南京大虐殺の賠償を求めるわけでなく、あったと認めることで顔を立ててほしいそうだ

ところが、韓国は、従軍慰安婦でも、最後は金目当てだ

あと、中国の人は、自分たちが惨めだった時代のことはなるべく思い出したくなくて、唐の時代をいまだに懐かしむ

韓国の人は、日本に支配されたことをいまだに思い出して、それを恨のタネにする

だから、中国の人は、謝罪さえしてもらえれば、おそらく、もう二度とそれに触れたくないが、韓国の人は、謝罪があったから、自分たちの恨は正当なものと確認する

この観察が正しいかどうかわからないが、歴史的な事実として、面白いことを聞いた

私は、中国の反日教育は、毛沢東の時代から始まったものと思っていた

毛沢東は抗日運動家だったし、日本が戦後も中華民国に肩入れしたのを不快に思っていたはずだと私は信じていた。

ところが、その40代のジャーナリストの方は、それは違うという

まず、毛沢東は、むしろ日本が大好きだったという

実際、孫文の影響で、相当の親日家だったことは、Wikipediaにも書かれているが、おそらくは事実だろう

死ぬ、間際に最後に発した言葉は、ミキだったそうだ。三木武夫が三木おろしの中で生き残れるかを最大の関心事にしていたらしい

田中と三木は犬猿の仲だったが、共に親中派だったようだ

毛沢東は、日本との仲を維持したいと死ぬまで思っていたらしい

そのジャーナリストの方の習った教科書は、それほど反日的なものではなかったようだ

日中戦争のことは確かに悪く書いているが、少なくとも戦後の日本については、むしろ美化していた

新幹線が富士山を走る写真がどの教科書にも載っているので、日本にくると、中国人は新幹線に乗りたがるし、富士も見たがる

中国が真っ先に新幹線を輸入したがった(それを勝手に外国に売っているという副産物はついたが)のもそのためだそうだ

そして、日本からのODAについても、ちゃんと恩を感じていて、東日本大震災のときには、1兆円以上のお金を用意して、復興と、福島の産物を買うのに使おうとしていたのに、尖閣問題でできなくなった

その中国の教科書が反日に舵をきったのは、江沢民のころからだという

金大中が訪日した際に、小渕は韓国に謝罪した

ところが、江沢民も同じことを求めたが、日本が拒否したので、共同声明が出せなかった

これで、顔をつぶされたと思った江沢民は、反日運動を開始する

教科書の内容も変えるように指示したらしい

資本主義国には謝るが、共産主義国には謝らないという、冷戦構造が抜けない小渕の失策だろう

金大中は、もっとも韓国では左翼だし、江沢民は、中国の開放派のトップだ

どっちを応援すべきかについても政治的センスを疑う

中国の尖閣に対する態度は一貫して、棚上げ、つまり日本の実効支配を黙認するものなのに、日本が騒ぐから、中国の指導部もネットでの批判に対応して強腰ででないわけにいかない

中国の海軍増強の狙いは、これから貿易大国になりたいのに、日本が中国の海をふさぐ形になっているので、自分たちの海路を確保するためという

どこまで信じていいのか私にはわからない

ただ、一つ、注目する発言があった

日本人は単細胞で近視眼的だ

中国人、少なくとも指導部は、もっと幅広くものを見ているし、将来を見据えているという

日本だと、尖閣が話題になると、そればかりにマスコミも政治家も注目するが、中国人はそれをワンオブゼムと考えるし、もっと先のことを見るという

それを痛感したのが、今回の、理化学研究所の改革委員会の提言だ

発生・再生科学総合研究センターを解体しろという

私は、これを一人の不正研究につけこんだ大学側の逆襲だと思っている

大学は、権威主義の上に、研究費もろくにないので、大きな業績をほとんどあげていない

山中氏の場合は、大学と言っても、研究所のような奈良先端大での成果だろう

私は、中途半端な大学の研究より、アメリカのように、まともな研究所をどんどん作れという考えをかねがね主張している

そして、理研は、日本では数少ないまともな研究所だ

大学では、今回の提言でも目立つように、手続きをちゃんと踏んでいるか、有意差が出るかというようなチマいことにこだわる教授が多く、独創的な研究を受け入れない土壌がある

東北大学でも私の博士論文が120の論文の中で、一つだけ落とされたが、それが日本人で初めて、自己心理学の国際年鑑に採用された論文になったことでも痛感している

今回の改革委員会のメンバーをみても、東大の退官教授が委員長で、現役教授が一人、そのほか、大学医学部教授時代に、自分の医局員が点滴のミスで子どもを殺した事件の指導教員だった奴が入っている

そして、実績を上げている企業研究者のような人は入っていない

100%確実に言えることは、このメンツからノーベル賞を取る奴が絶対出ないことだ(100%ということは私はめったに言わないが、この場合は100%と断言できる)

そして、こういう肩書だけ立派な奴のいうことを素直に信じる、小学校から大学まで受験していない国のトップと、ろくに進学実績を出していない塾のオーナーの文部科学大臣では、それをすんなりと聞きいれる危険は大きい

東大だって、森口なるいい加減な人間を雇い入れた過去があるのに、そのときは、解体しろとか、まともな改革委員会を組織しなかった

大学は、ずるい

しかし、そのずるさを指摘できず、科学技術の進歩のためには、多少手続きがずさんでも、大胆な仮説が大事という判断ができる、まともな科学記者のいないマスコミでは、日本の科学の将来は暗い(そう言う点では、武田邦彦氏はえらい)

20年後以降は、日本人がノーベル賞をとるというと、昔のようにアメリカで研究した人ばかりになるのだろうか?