前回のブログの追記だが、私が言いたいのは、警察が「安全」を錦の御旗にして、庶民を取り締まって喜んでいるが、本当にそれが絶対の正義かどうかということが言いたかっただけだ

日本でも速度無制限にすることで、ドイツ並みの車が作れるほうがいいという考え方もあるだろうし、やはり交通事故は少しでも減らしたほうがいいという考え方もあるだろう

夜中に人が歩いていない地方では、飲酒運転を多少認めて(事故を起こした場合は厳罰でもいいが)地方の、お酒とともに食べる郷土料理の文化を残したほうがいいのか、それとも、飲酒運転だけは絶対に許さないかを決めるのは、地元の意志であるべきであって、選挙で選ばれていない、地方の実情を知らない東京の警察官僚が決めることではない

警察は事故は減らすが、それ以上に自殺を増やしていると私はみている

しかし、親が事故で死んだ方より、自殺で死んだ方のほうが、子供のトラウマは一般的に大きいから、後世に残す悪影響は自殺のほうが大きい

そして、許せないのは、交通取り締まりにばかり人を割いて、殺人事件が疑わしい場合でも、ろくに検視を行わず、また、いわきなどで覚せい剤が蔓延しつつあるのに、取り締まりをろくにしないことだ

捕まえやすく、有罪率が高く、罰金収入が見込める交通警察ばかり増えて、事件が減らないのなら、なんのために警察に税金を払っているのかわからない

ところが、ジャーナリストも警察に睨まれると、植草氏みたいになるのが怖いのか、官僚や一般役人の批判はしても警察の批判はしない

市役所で大声で、職員を怒鳴りつける人はいても、警察にはおとなしい

まさに官営のヤクザである

さて、本日は小保方さんの記者会見のようだが、日本というのは、本当にまともな科学ジャーナリストのいない国だと痛感する

文系の人間が大本営発表のように、権威のいうことをうのみにするから、小保方さんが出てきたときには、疑いも知らずに、大絶賛

批判が始まるとみんなで批判

そして、研究の意義などについて論じる声はない

文系の発想では、勇ましいほうがそれでいいのかもしれないが、理系の発想だと確率や結果のほうが大切だ

自分が賢いとは思わないが、一つしか真実がないと信じ込む、思考の幅の狭い社会は窮屈で仕方がない