いくつかメッセージがたまったので多少答えておきたい

「和田式勉強法を知ったその次の日から始められるような、「和田式スタートアップ期」のようなプランがあると、和田式のスタートダッシュをより早く切ることができると思います」(引用終わり)

確かにその通りと思う

これは緑鐵でもスタートレベル判定テストが悪い人にやっているし、私の監修するいわき緑陰という学校でもやっている(多くが中学受験勉強をしていないまま入学するので)

ついでに言うと、前回紹介した、和田塾MEDSでも確実にやってもらう

1987年に『受験は要領』を書いたころには基礎学力不要と書いたために誤解されることも多いが、確かに一定の基礎学力がないと和田式は効果を発揮しない

ただ、それを露骨に書くと、面倒くさいからやめたというような人が多い世代なので、まず、着付け薬として、文庫版の『受験は要領』は残している

それでやる気になったと言ってくれる人も多い

「十数年前の受験時には和田式数学で偏差値を上げていただき、人間科学部とはいえ早稲田に合格することができました。ありがとうございます。※緑鐵には入っておらず、和田先生の各書籍で勉強していました。今思えば緑鐵に入っていればもう少し上を狙えたんじゃないかという思いもあります。
(略)これだけの実績を残している和田先生のメソッドを持続かつ拡大させることは経済格差による学力格差が広がりつつある社会において逆転を起こせる数少ない手段としてもはや欠かせない、逃げられない命題だと思います。
和田式で成果を出してきた多くのOB達の願いは私と同じなんじゃないかと思います。
一方で和田先生の理念を守ることも大切で、利益がでなくても今の価格帯を維持していただくことが所得の少ない世帯にとっては必須のため、販管費を捻出できないという現実もあろうかと思います。
そこで、実現可能性としては低いのかもしれませんが、自称和田式で成果を出したというOBによる完全ボランティア制の緑鐵持続と拡大の為の知恵出し会を各地区でやれないかなと思います。
OBの多くは受験での成功体験を自信に変えて社会の第一線で活躍していることと思います。営業もいればマーケティング、財務、広報、SEなど異業種他職種に人材はいき届いているのではないでしょうか。
また、決して東京集中ではなくある程度各地区にOBはいるのではないかと。
このあたりに関する知恵は和田先生が一人で悩まれるより異業種他職種での議論からのほうが面白い結果を生むのではないかと思います。
ここでOBが活躍することは和田先生自身にとっても第二の成果といえると思いますし、OBにしてみれば和田先生への恩返しであり次世代の子どもたちへ繋ぐ責務と誇りなんじゃないかと思います。だからこそボランティアなんです。」(引用終わり)

という嬉しいメッセージ

もし本気でやるという方がいれば応援するし、ついでの機会があれば、会合に私が顔を出すのはやぶさかでない

ただ、受験というのは喉元すぎればというところがあるので、何かのパーティで会った際は「和田先生のおかげで」と嬉しいことを言ってくれる人が多いが、現実にボランティアは困難な気がするが(その分、この人の意気を買いたい)

「よく会社などで、若い社員を諌める言葉として、「学校じゃないんだから」という言葉が使用されます。「学校と違って社会は甘くはない」という意味が込められているのでしょう。
しかし、最近この言葉を聞くと少し疑問に思います。
日本の学校が教育機関としてどれだけ正常に機能しているのか、という事です。
学校教育には知的学習の他にも、社会生活の模擬的要素も多大に含みます。」(引用終わり)

その通りだと思う

このあたりのことは拙著、『いじめは「犯罪」である。体罰は「暴力」である』

http://www.amazon.co.jp/dp/4267019525

に詳しく書いたのでご参考にしていただけると幸いである

「私は某三流大を中退して、別の三流大に入りなおしました。
先生に伺いたいのですが、再受験以外に学歴コンプレックスを解消する方法はありますか?」(引用終わり)というメッセージもいただいた

こういう質問は意外に多い

いちばん手っ取り早いのは偉業を成し遂げることである

たとえば今、話題の小保方さんは千葉の二番手の私立高校から早稲田の理工という学歴だが、東大理Ⅲを出た私が、「俺のほうが頭がいい」と言ったところで相手にされないだろう(受験勉強ができたら頭がいいというのも一面的なように、すごい研究ができたからありとあらゆる点で、頭がいいと思うのも、本来はおかしな話だが)

要するに、学歴がなくても、頭がいいと思わせるようななんらかの偉業を達成したら、誰も文句は言わない

ただ、それと比べると再受験で、名門と言われる学校に入るほうがおそらくは易しいはずだ

それだけのことである

私にしたって、学歴がなければ、誰も頭がいいとは思ってくれないだろう

実際、自分で人のことがバカと思うことはあっても、自分のことが頭がいいと思ったころはないのだから(本を出すときは、ちょっと偉そうにそういう言い方をすることもあるが、拙著『バカとは何か』でも書いたように、バカにならないように頑張っているだけで、頭がいいわけではない

さて、世の中にはその逆の人もいる

ノーベル賞を取ると、教育(少なくとも初等・中等教育の経験はない)の実績はないのに、国の教育政策のトップになってしまう

本人がすごかっただけで弟子にノーベル賞を取らせたわけではないのに

教育改革国民会議の座長も教育再生会議の座長もそうだった

もともとノーベル賞というのは、かなり思い込みが激しかったり、誇大妄想の気があるくらいのレベルの発想体系の人でないと取れるものではない

当時の学者の常識を覆した人に与えられる賞だからだ

だから、過剰すぎるくらいの自信をもち、そういう人は総理大臣でも、教育政策のトップでもできると思いこむのは心理学的には不思議なことではない

ただ、大リーグでMVPを取った選手が、サッカーの監督ができないように、それを周囲が判断しないといけないのだが、日本の政治家や文部官僚がバカだから、そういう人を使ってしまうところが日本の問題だ

そういう教育をなめている人が教育政策を作るから、ろくなことにならない

そして、教育で食べている教育産業の人のほうがはるかに生産性の高い教育をするが、それはバカにされ、かつ公教育がクズだから、金がない人はいい教育が受けられない

さて、件の小保方さんだが、中学校までは公立、一流半の進学校から、AOで早稲田ということで、AO派やゆとり派を勢いづかせているようだ

それについて私もコメントを求められたりもした

ただ、早稲田のAOにしても、理系の場合はかなりハードルが高い

小保方さんが受けた当時(AOの第一期生である)はよくわからないが、今の早稲田の理系のAOは
建築だけは、自己PRと鉛筆によるローイングとその説明で合格できる制度があるが、ほかの学科は「数学オリンピック」「化学グランプリ」「情報オリンピック」「高校生科学技術チャレンジ」「日本学生科学賞」「日本生物学オリンピック」「物理チャレンジ」を利用する一般入試よりハイレベルなものだ(ただし、ほかの科目ができなくてもいいという利点はあるが)

もちろん、多科目をやらせる今の受験制度に疑義は生まれるかもしれない

「天才」を求めるのなら、そのほうがいいかもしれないが、日本人全体の生産性を考えたら、それがいいかはわからない

天才を教育で作るのはおそらく難しいだろう

天才が天才を発揮する条件は実際は二つだろうと私は思っている

一つは、自分の天才を発見する機会を得ることだ

田中将大だって、野球に出会わなければ天才を発揮できなかっただろう

要するに、いろいろな可能性に出会わせることが必要だということだ

二つ目は、天才の邪魔をしないことだ

山中氏は、奈良の先端技術大学院という、小保方さんは理化学研究所という、自由な研究環境で大成した

拙著『医学部の大罪』でも書いたことだが、今の大学の医学部は突飛な発想の抵抗勢力になるじじい教授が多すぎる

そのおかげで、たとえば乳房温存手術だって、導入が15年も遅れた

大学医学部というのは、臨床と教育に特化して、むしろ自由な研究所を10個くらい作ったほうが日本の医学は飛躍的に進歩するはずだ

ところで、取材の人に聞いたら、小保方さんは、かなり思い込みの激しい人だそうだ
(そういう人でないとすごいことはできないのだが)

自分が天才になったのは、中学受験をしなけったおかげどか、AO入試のおかげとか、勝手な思い込みをもたれて(もっていないと信じているが)、日本の教育をぐちゃぐちゃにしてほしくないと勝手な妄想が生じてしまった