ゆとり教育の是非について論じる番組に出た

残念ながら、ON AIRの日を間違ってしまい、その番組を見てもいないし、録画もしてない

ただ、観たという人からのメッセージをいただき、観たという知り合いから少し話を聞いた

結論的に言うと、反省もしているし、やはりテレビというメディアの怖さも知った

この番組では、何十人かの観客が入っていて、その人に、議論をする前と終わった後で、賛否のアンケートをとる

議論する前は、圧倒的多数がゆとり教育反対だったのに、議論後は、ゆとり教育賛成と反対が同数だった

私の説得力のなさにがっかりしているが、十分言いたいことが言えなかったのは事実だ

前半が終わったところで、ディレクターの人から視聴者は太田さん(爆笑問題)の話を聞きたがっているのだから、なるべき太田さんに話をさせて、太田さんの話を遮らないようにという注意を受けた

こんなディスカッションというのがあるのだろうか?

そして、太田氏のゆとり教育擁護論がいろいろと論じられた

ただ、彼のように優秀なタレントが好きなだけ話せると、一般の大衆(その観客は特別に知的レベルが低いわけではなさそうだし、おおむね大卒レベルの印象を受けた)でも、簡単に説得されてしまう

そして、知的階層の人間、勝ち組の人間は、太田氏が何を言おうと、子供に勉強をさせる

結果的に公教育のレベルが低く、マスコミが強いと、負け組の子、親の知的レベルが低い家の子どもは一生這い上がることができない

太田氏にはそういう配慮がまったく感じられなかった

まさに勝ち組からの発言のように聞こえた

ただ、その中で一つ面白いものがあった

ゆとりで国力が落ちるとか、韓国に負けるとかいうが、結局のところは経済の話でしょというものだ

私自身が韓国に学力で負けるというのは、経済の問題だけでなく、列島民族扱いされるのが虫唾が走るのだが、やはり経済は大切だろう

要するに、子供たちが勉強をするのは将来食べられるようにするためということが大きい

日本のタレントの多くは、実際は経済の寄生虫である

自分でコンサートを開いたり、CDを売ったり、本を売ったり、映画に出たりで稼ぐのでなく、企業がスポンサーになる番組に出て、あるいは企業のCMに出て高額収入を得ている

もちろん、そのギャラは商品の価格に転嫁されているし、企業の業績が悪ければ、あるいは不景気になれば広告収入は減る

経済で負けたっていいという発言をタレントがするのには違和感を覚える

ただ、私も太田氏が受験も含めて、競争社会、競争的社会に否定的なことについては、意外に思われるかもしれないが、肯定的な立場にいる

一生が競争で、勝ち組はリッチだけど、負け組はいつクビが斬られるかわからない、その上、生活保護もバッシングされるというのでは、一生、心の休まる暇がない

メンタルヘルスにはひどく悪い社会だ

もう一つは、日本経済だって、どうなるかわからないが、世界的なトレンドは、生産性過剰、消費不況である

昔のように生産性が高い国より、実は消費が旺盛な国のほうが発展の目がある

それでも、まだまだ古いパラダイムにとらわれている人が多すぎる

消費不足の社会では、むしろ共産主義のほうがましかもしれないのだ

要するに共産主義が潰れたのは、独裁の問題もあるが、生産性不足の時代だったからかもしれない

生産性過剰で、消費不足なら、共産主義にして生産性が落ちて、消費性向が上がるほうがましかもしれない

というか、私は最近、逆身分社会でさえいいと思っている

士農工商の時代には、サムライは身分が高かったが収入は少なく、一番下の商人がリッチだった

人がやりたがる仕事なら、実は給料が限りなく安くても、その職業が人手不足になることはない

タレントや映画監督など、給料がゼロになってもやりたい人はいるだろう

私だって、映画監督で、演出料をいまだにもらったことがない

逆にいつも持ち出しである(だからプロと言われないのかもしれないが、それなりの評価を「海外では」受けている)

ブログのようなタダ原稿やボランティアを除くと、今やっている仕事の中で、医者の仕事がいちばん時給が安い

それでも医者を続けている

というか、医者が年収300万円で、どかたが年収1000万円でも、私は医者を選ぶ(仮に副業がなくてもだ)

体力がないし、医者の仕事が好きだからだ

ただ、医者の場合は、映画監督やタレントなどと違って、あまりにできが悪い人だとやはり患者が被害を受けるから、食べられる程度の収入は用意しないといけないとは思うが

でも、食べられたら、それなりに優秀な人材が集まるだろう

ところが、今の世の中では、人がなりたがる仕事のほうが一般に収入が良い

最近になって、それが不条理に思えてきたのだ

受験競争に対するルサンチマンもそこが起源のような気がする

受験競争に勝つと、収入も多いし、汚れ仕事をやらなくて済む

負けると、その逆だ

私は、昔の日本のように、受験競争は激しいが、社会に出てからは、終身雇用、年功序列のように競争がゆるい社会のほうが、好きである

大人の競争はメンタルヘルスに悪いし、子供より大人のほうがはるかに自殺率が高い

世間はどう思っているかしらないが、生物学的には大人のほうが子どもより心が弱いのである

だから、終身雇用、年功序列は先人の知恵と言える
(これだって、一般的になったのは戦後になってからだ)

では、子どもには詰め込み教育、受験競争はいいのか

生産性を上げなくていいというのに矛盾ではないかという考えもあるだろう

一つは、ゆとり教育というのは義務教育の話だということがある

要するに公的サービスである

たとえば、医療に関して保険でやるものは、国の財政が貧しいので減らします。あとは民間でやってくださいと言われたらどうだろう

同じ税金を払っていて、あるいは以前以上の消費税を払っていてもである

教育についても、一方的に教える内容を減らし、あとは塾に行ってくださいというのでは、納税者として納得できない

もう一つは、もちろん、かつての韓国のように塾や家庭教師を禁止(けっこうもぐりがあったようだが)しないで、公教育だけゆとりにすれば、金持ちの子、教育熱心な親の子、教育資源が豊かな地域の子どもだけが、恵まれた教育を受け、そうでない子どもの知的レベルは下がる

最終的に、義務教育のレベルが上がれば、子供たちの選択肢が増える

太田氏は、日本の歴史で、義務教育を作ったときに、大隈重信か誰かが、お上に逆らわない人間を作るためと言った逸話を披露した

もちろん、お上にはそういう意図があっただろうが、現実には教育レベルが上がるほど、大衆は新聞を読み、体制を批判する人が出る確率が高くなる

愚民化政策のほうが、スポンサーの意向に喜ばれるタレントが、大衆を洗脳しやすくなる

こんなに格差が広がっているのに、こんなに企業の内部留保があるのに、日本はストさえ起こらない

そして、高齢化が進んでも、いちばん福祉に力を入れない自民党に入れる

景気がよくなれば、暮らしが楽になると信じているからだ

景気がよくなる保証もない以上に、景気がよくなっても大衆の暮らしがよくなる保証はもっとない社会になってしまったのにである

太田氏にしても、自分は勉強ができなかった話をするが、受験で日大の芸術(当時はかなり難しかったはずだ)に入り、彼が受けていたころの教育は、もっとも詰め込みの時代である

人間というのは、自分が受けてきた教育やしつけに関してルサンチマンをもつと、そのありがたさを忘れる

たとえば、子どもが好き嫌いが激しくても、それに任せて食べさせないでいたら、体が小さかったり、脳の発達が悪くなることはある

子どもが痛がるからと言って注射をしなかったために、深刻な後遺症が残ることだってある

あとで恨んでも遅い

子どもが嫌がっているからと言って、後で恨まれるようなことをしないようにするのが大人の責任だ

勉強ができるほうが、大人になってからの選択肢は確実に多い

東大を出ていたって、どかたもやれるし、タレントもできる

私の知り合いで何人も、社会人として不適応ということで東大を出て、別の大学の医学部に再受験するが、ほとんど合格している

やはり勉強の能力が高いと選択肢は増える

だからこそ、特別な塾にいかなくてもいいように、公教育を充実すべきだし、内容を濃くするだけでなく、クラスの人数を減らして、みっちりと目が届くようにすべきなのだ

小人数だとうまくいく話は、前に書いたとおりだ

ただ、このブログだって、ほとんどが知的レベルが高い人が読み、ゆとりだって賛成というメッセージももらったが、多くの人はもともと反対だろう

結局、タレントのほうがはるかに知的レベルの低い人への影響力が高い

だからこそ国が面倒をみないと、親が教育に力を入れない人は、その不幸が何代も続いてしまう

それが哀しい