永井一郎さんが亡くなった

いろいろな意味で大ファンだったので、とても残念だ

小林カツ代さんも亡くなったそうだ

私も高齢者を長年診ているが、それまで元気だった人が、ちょっとした病気で突然亡くなったり、要介護状態になったりする

だんだん衰えるというモデルより、ある時期を境に急に衰える人や、亡くなる人が多い

そういうモデルで高齢者を見ることには意味があると信じている

本日は、子供を持たない人が少子化を論じる(自分は40面下げて独身なのに、子供を作らない既婚者や若者を堂々と責めるような発言をテレビやラジオでする人が大阪にはいるそうだ)メッセージをいただいた

たまたま、昨夜にラジオを聴いていたら、NHKの経営委員になった長谷川三千子さんが、男女共同参画のおかげで少子化になったという意味の発言をしたといって、パーソナリティの人が怒り狂っていた

ただ、残念ながら長谷川氏の言うことには真実がある

結婚が15-19年続いている夫婦の完結出生児数に関しては、1970年当時と比べても2.2が1.96に下がっているにすぎない

現在の少子化は結婚したのに子供を産まなくなっているのでなく、非婚、晩婚と離婚のために15-19年の婚姻が継続できないせいだというのが統計からみた答えである

ただ、女性の社会進出を認める立場なら、少子化や独身を続けることや離婚を非難するロジックに乗るほうがおかしい気もする

県別でみると、実は、平均所得が少ない県ほど出生率が高い。要するに結婚しないと食べて行けない、女性に職がないという県では、結婚する率が高くなるから、あるいは離婚しても生きて行けないから、結果的に出生率が上がってしまうのだ

女性のワーキングプアが問題になっているそうだが、逆にそれが、女性を結婚に追い込み、出生率を上げるかもしれないというパラドックスがある

実は私は、少子化が悪いとは思っていない。少子化のほうが日本のためになるという本も書いているくらいだ

要するに子供の数が減れば、その分、教育レベルを上げて、一人当たりの生産性を上げれば帳尻が合う

一人っ子政策の中国にしても、少子化に悩むフィンランドにしても、この形で、少子化を切り抜け、中国は失速気味だが、これまではきちんと経済発展を遂げてきた(一人っ子政策なのに、中国の人口が減らないのは、人々が長生きできるようになったからだ)

子供がいい加減な形で増えて、教育レベルの低い若者が増えるほうが、いろいろな意味で社会のコストは増してしまう

さて、受験生のメンタルヘルスで、やり方が悪かったからといういい方では、自己責任論だから、それでは、失敗した受験生が自分を責める状況には変わりないというご批判をいただいた

確かにいい方が悪かったのかもしれない

ただ、生まれつきの素質がないと言われるより、やり方が悪かったと言われるほうが、未来に希望をもてるだろう

現に、何人もの大人の人から、「和田先生のおかげで、やり方が悪かったと気づいて、大人になってから勉強をやり直して、三流大学しか出ていないのに、こんなに成功しました」とか「出身大学のコンプレックスがなくなった。私も和田先生の本に出会っていたら、早慶くらいの大学に入れたのはよくわかりました」とか「子供には和田式でやらせて、おかげで三流大学卒の親なのに、息子は東大です」などと感謝されることが少なくはない(面と向かって悪口を言う人はそういないだろうから、社交辞令かもしれないが、それでも嬉しい)

自己責任論による受験生のメンタルヘルスというのは、確かに問題にしなければいけないことだが、自己責任論で会社を追い出され、生活保護を受けられない人の受けるメンタルダメージと比べるとかなり小さいようだ

自殺の数で比べると受験に失敗して自殺する人は年間20人くらいだが、リストラや食べられなくなって、自殺する人は万を超す

「頭が悪いのでなく、やり方が悪かったのだから、やり方を変えて、これからの人生、頑張ってみようよ」ということが悪いこととは思えない

「和田式でダメだったんなら、別のやり方を試してみたら」というのが無責任とは思えない

ただ、いいやり方に出会えない「不運」や「境遇の悪さ」というものはあるだろう

今の地方の受験生は、やはりそういう境遇の不幸はあるような気がする

最近、私が聞いたいちばん不愉快なニュースは、私の監修するいわきの6年一貫の学校が、中学受験者が6人しか集まらなかったことが

半数近くが国公立に現役合格し、昨年だって、本来東大に行ける子が東北大学に受かっているし、ビリの子でも東京の名門女子大に受かっている

今年にいたっては、推薦とは言え、全校で下から3番目の子が国立に受かっている

もとの学力というと、実は東京の名門中学受験塾なら小学校5年生の初めくらいの問題を出していて、合格者の最低点は例年4割を切るレベルだ。それがここまで伸びるのはかなり自慢していいと思っている。中学1年生のときに、東京の子も負けないように中学受験レベルの計算や読解をみっちりやっている効果もあるだろう

1学年が12-15年しかいないくらい生徒が集まらないが、実績を出せば集まると思っていた

毎週、東大生がテレビ講義をやり、マンツーマン指導をしているせいもあって、コミュニケーション能力も高い子が多い

それ以上に、やはり少人数のせいか(生徒数が増えた時には確約できないが)、教師の目が行き届き、メンタルの面や素行の面で問題になる子がほとんど出ていない

私が子供の数が減ったなら、クラスを小さくしろという考えにいたったのは、フィンランドの学校の視察だけでなく、あくまでも結果論だが(この学校だって、予定通り生徒が集まれば一クラス30人である)、この学校の実情を毎年見てきたこともある

それが受験者数7人ということは驚愕の事実だ

この地域の親がこんなに受験情報に疎いというか、地元にいい学校があっても、それを見ようとしないのなら、子供は不幸だ

私自身、幸運だったと思うことはある

たまたま、子供時代弟と野球ごっこのようなことをしていて、ご近所の家の庭にボールが入って謝りに行ったら、そこのご子息が灘に通っていて、そのお母さんが家庭塾のようなことをやっていたのが、灘の受験のきっかけだった

それまだは、母親が大阪の出身で公立信仰が強かったので、北野とかそういう学校に行かせたかったらしい

灘が私立ということさえ、母親は知らず、神戸に引っ越そうとかしていたくらいだ

いいか悪いかは別として、そのまま公立に通っていたら、東大は相当遠かったと思うし、別の人生を歩んでいたと思う

あと、ゆとり教育の副産物、あるいは少子化で高校や大学の受験の副産物と私は思っているものに、受験勝ち組の価値観が変わったことがあると思っている

私のころは、三流大学に入る人間も一生懸命勉強していたので、多少は、自分が受かって、あんなに一生懸命勉強している人間が○○大学かということで、同情もしたし、ちょっとした罪悪感を感じた

東大に入る人間が左翼運動に走り易かったのもそういう背景があったからだろう

ゆとり教育と少子化による受験圧力の緩和のために、勉強をまったくしない子供がものすごく増え、それが4割にも上っているという

一方、東大に入るような子供は、小さいころから中学受験塾に通い、ものすごいハードな勉強をさせられている

すると、東大生が、ほかの大学、とくに三流大学や高卒の人間を、可哀そうな人と見るより、「努力していない奴」と見るようになりがちだ

このような自己責任論の蔓延で、東大生が弱者に厳しくなった印象がある

少なくとも左翼運動に走ったり、民青に入る学生はほとんどいなくなった

私は、「やり方が悪い」のは自己責任と思わない

境遇が悪いためというのがほとんどだろう

そのほうが慰めになるのなら、その言葉を使いたい

自分のせいだと謝れば、受験生のメンタルヘルスによいとそのメッセージの主は言うが、そのほうが多くの人の希望を奪うし、ますます境遇の悪い人が私の勉強法へのアクセスを減らすことになるので、それはしたくないというのが私の真意だ

それにしても、いわきの親の人たちは、もう少し子供の将来を考えてほしいし、情報に貪欲になってほしい

それが復興につながると大きなお世話だが、私は信じていると言っておきたい