新年早々、というか、1月2日から

「はじめまして、先生のファンです!というのはウソです。
私は、mixi和田秀樹被害者の会、管理人をしているクラッパ秀樹です。
(略)
ついに会員数も328人となり、mixiでも収まりがつかなくなってきました。
そこで、秀樹にお願いします。
文京区の区役所の会議室を借りますから来てください。
そこで、秀樹の勉強法が真実であるという事を証明して頂きたいのです。
大半の被害者が、「受験は要領」の読者です。
中には自殺した受験生もいます、その場合は遺族です。
私はなんとか秀樹の言い分が正しい、という前提で管理人を務めてきました。
しかし、秀樹の180度コロコロ変わる主張から、私自身も先生を肯定する事に限界があります。
要するに、秀樹はウソつきだという疑いを晴らしてほしいのです。
秀樹が食いつきやすいように、画像トップは美人の写真を入れました。
秀樹、オナニーしてますか。しかしこの写真の美人は既に他界しています。
私は秀樹を敬愛し、応援しております。だから、来てください。」(引用終わり)

というメッセージをいただいた
(最近、ブログをあまり更新しなくなったので、メッセージを見るのも遅くなったし、その後も原稿の締め切りに追われていたのだが)

最初は、もちろんむかついたのだが、よくよく考えたらすごいことだと思うようになった

私の『受験は要領』は新書時代と、文庫を合わせて50万部以上売れている

私の受験関係の本ということなら、300万部くらいにはなるだろうし、今でも毎年5万部は売れている。回覧する人も合わせれば10万人はいくだろう

それで受験がうまくいかなければ被害者というのだろうが、その被害者の会がいくらでもネットで検索できるのに、会員が328人ということである

私自身、人間の能力特性や思考パターンに個人差がある以上、私の勉強法でも受験に失敗する人は2割や3割はいるだろうと思っているし、成績が上がらない人も1割くらいはいるだろうと思う

また昔と比べて、子供たちの読解力が落ちているから誤読もあるだろう

実際、中山とかいうプロの教育評論家でも、この受験は要領に、理科の実験をするくらいなら、さぼって勉強の英気を養ったほうがいいと書いたのに、後段を全く抜かして、理科の実験をさぼれというところだけを取り出して私を批判していた

授業を無視しろとか言っても、その代わりの勉強をしないで成績が上がるはずがない

誤読対策として緑鐡を始めたという側面もある

ただ、通常の人は失敗しても、別のやり方を試すとか、自分の勉強が足りなかったとか、ほかで成功しようとかいう形で前向きに生きていたり、自省の気持ちが強いので、被害者と称さないのだろう

私の読者の大部分(こういう例外を除く)が、仮に受験に失敗したとしても精神的に健全であることはきわめて嬉しい

自殺についても、厚生労働省がきちんと若者の自殺の原因統計を出していて、学校問題で自殺する10代の若者は、年に約200人、入試の悩みだけで毎年20人は自殺している

私の読者が同年代の約10分の1、受験生の6分の1くらいだということを考えると、私の受験勉強法の読者が、ほかの受験生と同じ自殺率だったとすれば、毎年2-3人の自殺が出ているはずだ

私が知る限り、私の受験勉強法の読者で自殺した人は、その一人だけである

もっといるかもしれないが、決して、私の読者の自殺率が、そうでない人より高いとは思えない

今のようなネットの時代なら、毎年2人も自殺が出たら、ひどい糾弾を受けるだろう

読者の数が多いのだから、確率的にそうなってしまうのだが、そうならないで、私への幾多の非難や嫌がらせの中で、自殺が出たというのは初耳(同じ被害者の会という人から、同じような非難を受けたことがあるが、同一人物のような気がする)である

自殺予防活動や精神科医であっても、自殺を減らすことができても、ゼロにはできない

私の本の読者が、一般の受験生より自殺率が、仮に半分(計算上は、それよりはるかに低く、100分の1くらいのようだが)であったとすれば、成績が上がっているからか、考えが柔軟になっているからということだろう

要するに、私の本を読んだから、自殺をしたのでなく、私の本を読んだのに自殺をしたという数字である
(確率論の話をしているだけで、私も精神科医のはしくれだから、自殺に関しては悲しいことだし、個人を悼む気持ちはもちろんあるが)

私の勉強法が真実とは思っていない

それで成績が上がる人や、受験に合格する人が多いというだけの話だし、受験の傾向や、あるいは緑鐡をやっているうちに、こっちのほうがいいと思ったら、意地を張るより言うことを変える

それだけのことだ

ただ、この人なり、被害者と称する人に一つだけアドバイスをしたいことがある

私の勉強法が合わなかったなり、受験に失敗したことを、私のせいにするのは、それで心理的な安寧が得られるのならそれでいい

でも、通常はそれで満足してしまい、私のせいにすることで、生きることに前向きでなくなる

たとえば、私の受験勉強法で失敗しても、こんなやつにだまされないで、大学に入ったら、もっといい勉強法をみつけて、司法試験にでも受かってやると思って勉強して、実際に受かれば、たぶん、そこまで私へ恨み続けなくて済む

しかし、その後も、ずっと人のせいにし続けて、前向きに生きなければ、這い上がることができないから、ますます私への恨みが強くなる

受験に成功しなくても、世の中で成功している人はいくらでもいる

私以外に勉強法を書いている人もいくらでもいる

自分に何の得にもならない(たとえば、私の勉強法が仮に真実だと証明できても、あるいは、君たちが合格できなくて悪かったと私が謝ったとしても、この人たちの能力や生活は変わらないだろう)被害者意識をもつより、これからの生き方をもっと真剣に考えたほうがいい

薬であれば、効く人がいても、副作用で悪くなった人がいれば、製薬会社から賠償金を取ることができるかもしれないが、私を含めて勉強法の本で勉強してうまくいかないことを、おそらくは賠償の対象にもならないだろう

ましてやうまくいく人のほうがずっと多いのだから

ま、いずれにせよ、読者の数を考えたら、私が考えている以上に、私の勉強法でうまくいかない人が少ないし、若者の自殺率を下げているということが意識できただけで、このメッセージはよかったのかもしれない

ついでにいうと、私が直接に診た患者さんで、私の被害者と言っている人は、私は知らない

精神科だし、ごくたまに治療がうまくいかないこともあったし、一人だけ、患者さんが自殺したこともある

一生懸命が評価されているのかと思うとこれも嬉しい