抗うつ剤がドーピングがどうかというメッセージをいただいた

実は、若い人たちに抗うつ剤を使いたくない理由は、薬があまり効かないだけでない

今、世界的に注目されている、抗うつ剤、とくに新型とされるSSRIやSNRIという括りの薬の副作用にactivation syndromeというものがある

要するに、死にたい気分や抑うつ気分が残りながら、やけくそのような変な精神状態になってしまう

どうせ、俺なんか生きている価値がない、邪魔ものだという感覚なのだが、周囲のちょっとしたことばに怒って粗暴になったりするのだが、これが絡む大事件も多い

アメリカだとOJシンプソン事件、コロンバインの乱射事件、日本だと、池田小事件、全日空ハイジャック機長刺殺事件、秋田の連続児童殺傷事件、川崎の小学生投げ落とし事件、秋葉原の通り魔事件(この話を知ってから、急に犯人に同情的になって、犯人とされる人の名を聴けば思い出す事件ばかりだが、代わりに言いようがないシンプソン事件以外は、こういう呼び方にした)など、これまでにないタイプの事件、大量殺人につながるような事件のほとんどといっていいものが、SSRIやSNRIを服用していたことがわかっている

薬の影響ということになった場合、秋葉原の事件が死刑にならない可能性も残されてきた

薬の副作用の場合、本人が気の毒ということはもちろんそうなのだが、周囲にこれだけ大被害を出すというのは、かつてのヒロポン以来のものだろう

ヒロポンも脳を元気にする薬として重宝されてきたが、同じくモノアミン(ヒロポンはドパミン、SSRIはセロトニン、SNRIはセロトニンとノルアドレナリン)を増やす薬である抗うつ剤は、こういう怖さもある

したり顔で評論家たちが、昔はなかったこういう事件が起こると、社会のせいにしたりしてきた(とくに秋葉原のときはそうだった)が、実は薬の影響かもしれない

この薬はアメリカより10年ほど遅れて認可されたが、アメリカではそれが問題になりつつある時期だった

どうせ認可を遅らせるなら、この副作用をもっと精査していれば、池田小事件も秋葉原事件も起こらなかったかもしれないのだ

西鉄のバスジャック事件は17歳の少年だったが、この薬を高校生くらいに使いたくないのは、効果があいまいな割には、この手のアクチベーション・シンドロームのリスクが小さくなさそうだからだ

確かに、ヒロポンで勉強ができるようになった、仕事ができるようになったというドーピング的な効果はあった。抗うつ剤は、青少年に対しては、それが少ない割に、リスクのほうはむしろ中高年より多そうだということが怖いのだ

さて、天安門の車両突入事件に対して、中国政府はテロと考えているが、アメリカがそう言わないのに文句を言っているようだ

一般には暴力(とくに、その国の法を犯す行為)を伴った反政府活動はテロとみなされる

ただ、なぜかアメリカなり、西側諸国が、「ひどい国」とみなした場合は(最近だとエジプトのモルシ政権などがそうだ、ラジオに出ていたエジプト人タレントは、今の軍事政権のほうがはるかにひどいし、エジプト人はみんなそう思っていると言っていた、もちろん「みんな」は誇張だろうが、少なくとも、それほどゴリゴリのイスラム教徒と思えない、むしろ自由主義が好きそうな女性がそういうのだから、耳を傾ける必要はあるだろう)、テロでなく、正義の活動、自由への闘士のように言われる

今回の中国の炎上事件も、同じような含みがあるから、アメリカはテロ扱いをしないのだろう

積極的平和主義にせよ、テロか正義のため、自由のための闘いと決めることにせよ、世の中に、絶対の正義があるように信じている人が多い

件の私の相続税100%論の批判者も、私有財産制が絶対の正義のように思っているようだった

私有財産制は、確かに人々のやる気を刺激するが、人々を強欲にする側面もある

貧しい国が豊かになるために人々を頑張らせるとか、生産性が低くて、消費に追いつかないときは、これは有効な手段だが、ある程度、豊かになり、生産性が十分で消費が余っているような状態のときは、いいほうに働くかもしれない

まだ、それに多くの国や人々が気付いていないだけかもしれないのだ

時代が変わり、飢えてもいないのに人口が減るという事態に人類が初めて直面しているということを忘れてはいけない

昔から、働くことに価値を置き、お金を使うことが悪い時代が続いたが、人口減少、消費不足の世の中では、働かないでお金を使ってくれる人のほうがありがたいかもしれない

要するに、生活保護受給者や高齢者のほうが、国のためになっているかもしれないのだ(生活保護や年金が国の金というなら、貯金を切り崩す高齢者は少なくともそうだろう)

もちろん、その時代、その時に相対的な正義があるだろうし、多数派の正義が正義の扱いを受けることは多い

新たな知見が加わると正義が変わることもある

前述のように、うつ病についても、早期の薬物治療をしたほうが、脳の変性を止めるということで、いいことをやっていると信じていた精神科医が多かった

そのころは、SSRIを批判すると、前時代的精神科医のように言われた

もちろん、今でも頭の古い精神科医はいる

でも、精神科のほうがましと思ったのは、学会の講習会で、きちんとうつ病の副作用の問題を取り扱ったことがある

糖尿病の学会などは、下げ過ぎ(正常値に戻すことが下げ過ぎと考えられている)が死亡率を上げるという大規模調査がいくつも出ているのに、今でも考えを改めようとしない

ただ、こういう学問はデータの裏付けで、これまでの考えが改められるが、一般的には正義というのは主観的なものだから、相手に説得されたり、信じ込まされたものが正義になる

だから、金持ちは、一般的に少数派だが、マスコミなどを押さえて、自分たちの正義を大衆に信じ込ませるようにしている

私有財産制が絶対で、それ以外は独裁だなどと信じ込ませる

わずかでも私有財産をもっていると、そちらを守ることのほうが、国に税金としてふんだくられる金のほうが多くても信じ込んでしまう

おそらくは、相続税を100%にして、消費税を安くしたほうが、95%くらいの人は得をするはずなのだが、そんなことでは説得されない

ただ、そもそも、損はダメ得は正義というのも、ある価値観に支配された考えかもしれない

宗教が違うと正義の枠組みが違うのだが、たとえばキリスト教の人はイスラムの人にキリストの枠組みの正義を押しつける

宗教では、説得が難しいと思うと、快楽だとか、金をちらつかせる

今、韓国がやろうとしていることも、被害者意識を前面に出して、自分たちの正義を外国に信じ込ませることだろう

日本は、絶対の正義を信じる人が多いから、こっちが正しいからわかってもらえるという甘えた(甘えだって、日本国内でなら悪いことではないのだが)考えをする

私にできることは、私の信じる正義を人に伝えることだが、押し付ける気がないことだけは、わかってほしい

正義の判断材料を増やしてほしいだけだし、医療については正義でも、税制については正義でないことだってあり得るのだろうから