本日はためになるメッセージをいくつかいただいた

SNEPに関しては大変ためになったが機会があれば、改めて触れたい

ただ、そのメッセージに書かれたことには基本的にはうなずくことしきりだった

『はだしのゲン』について

「なるほど作中には明らかに事実と違う、またはかなり疑わしい事例を事実であるかのように描いている場面がたくさんあります。思想が共産党系の人たちが言いそうな内容に偏っていることも確かです。日本の軍人たちを悪く描きすぎていることも否定できません。
 しかし一方で、「真珠湾を攻撃した日本は原爆を落とされて当然だ」と語るアメリカ人に対しゲンたちが怒りを表明する話もあります。アメリカが被爆者を被爆の影響を調べるためのモルモットとして扱う話や、東京裁判で戦勝国が理不尽な裁判を行っていることなども描かれています。決して、日本側の非道さだけを訴えているのではありません。
 「たしかに抜粋を見る限り、」という文面から、おそらく先生はゲンをお読みになったことがないか、ごく一部しか読んでいないと推察します。それで果たして著者の主張を正確に読み取ることが可能なのか、私は疑問です。
 そもそも「抜粋」とは、誰が行った「抜粋」なのでしょうか。抜粋という行為自体が、抜粋者の考えというフィルターを含んでしまうものと思います。日頃から疑うことが大事だと書かれている先生は、抜粋の妥当性を疑うことはなかったのでしょうか。
 はだしのゲンは、少なくとも私の家の近所にあるツタヤではレンタルして読むことができますし、全巻読み通すのにさして費用や時間がかかるとは思えません。せめてお読みになってからブログで言及していただきたかったと思います。」(引用終わり)

おそらくこの方の書かれているとおりだろう

ただ、私も著述業をやっているから言わせていただくが、一部だけとって、抜粋されて批判されても、抜粋された内容が原著の通りなら(中山治という人のように原著を捏造する人もいるが)文句は言えない

私はそこまで悪意がないので、原著を全部あたるべきだったとは思うが、ブログというのはタダ原稿なので、そこまで労力もかけたくない

第一、私の真意としては、日本の政府やマスコミが原爆投下を国際法違反と言えないことを問題視しているのであって、はだしのゲンは枕に過ぎない

はだしのゲン批判ならともかく、枕である以上、全部読む必要は感じないし、抜粋に引用されたものがねつ造でなければ文句はないように思える(もちろん、これは単なる私のスタンスだが)

「今と昔が甘いかどうかなんて比較しても仕方ないと思います
そんなことを言っていたら縄文時代まで遡らねばなりません
戦国時代の若者なんて人を殺しまくっていたでしょう
そんな比較に意味があるとは思えません」(引用終わり)

これもそうかもしれないし、そうでないかもしれないとしか言えない

比較したくなる時もあるし、それを仕方ないと言って、一切しなくなるのも自分の思考を縛る

何度も言うが、このブログはアクセス数を増やして、広告料をかせぐという了見でやっているのではない

読みたい人だけ読んでくれれば十分だ

ただ、前にも書いたが、私は、評論家アイデンティティをもっているわけではない

中長期的な夢としては映画監督として呼ばれたいが、今のアイデンティティは教育者である

大学院の教員(教授という偉そうなことばは大嫌いだ)としても、わかりやすい講義に努めているつもりだ

実は、本日はうれしいことがいくつかあった

塾の新入生になりたいという面接を行った

地方の小学生だった方が、私の『受験のシンデレラ』をみて勉強に目覚めたと言ってくれた

その方は、地方にいて、受験情報がない中、注になって東京の塾に行き、半年の勉強で、東京の偏差値ベースでトップ校に合格されたとのことだ

地方は情報がないと何度もその親御さんも嘆いておられた

『受験のシンデレラ』がそんなに役にたったのは本心からうれしい

今後も少しでもお役に立てたらうれしい

夜は、毛色が違うがレスリングの栄監督と食事をする

私はスポーツのことはさっぱりわからないが、一人ひとりに違った指導をするという当たり前のことをおっしゃっていたのは嬉しかった

私も受験勉強の指導では同じパターンだ

なのに、受験勉強法の本は売れても、一人ひとりに違う指導をしている緑鐡受験し同ゼミナールに入ろうという人は年々減っている

実績は上がっているのに、「情報がない」のは怖いことだと痛感した