「和田先生は実名顔出しなのにも関わらず、まさに言いたい放題といいますか、正直すぎるほど正直な自分の考えをどんどん発信していると思うのですが(激しい怒り、批判等含め)
それはなにか理由があるのでしょうか?
恨まれたり悪く言われたりすることも多そうなくらいなのですが
他のブロガーをみていても匿名ならともかく実名でそんな方はなかなか見えないですし
医師でも珍しいのかなと
私は和田先生のブログファンなので、面白く楽しく勉強になるのでありがたいんですが
なんでこんなに言いたい放題いえるのか、また言っているのか、知りたいので
できましたらこの話題もお聞きしたいです」(引用終わり)

というメッセージをいただいた

私にとって、ブログというのは言いたいことを言うためのツールであって、もちろん、読者は意識するが、自分のメンタルバランスを保つだめに書いている

だから、ぐちゃぐちゃとうるさいことをいうメッセージに腹を立ててしまう

読みたくない人は読んでほしくないし、私の言いなりになるというより、いくつかの情報の選択肢の一つ(ほかの人が言っていないということで、判断材料を一つ増やすことにはなると自負している)になれば、私にとっても幸甚である

でも、そういう情報がないと、今のマスコミは一色に染まりすぎる

かといって、匿名のものは、私の通信教育の悪口(東大生で、うちに講師募集に採用されて辞退されたというでっち上げまでやっている悪質なもの)を含めて、やはり当てにならないものが多い

だから、多少の批判を受けても実名で続けたいと思っている

本当は、私のメッセージにけんかを売る場合も実名でやってほしい

そうでないと、それだけを引用して、実名で書けない汚い奴として切り捨てようかと思っているくらいだ

でも、これだけパチンコ屋の悪口を言っても、今のところ殺されそうになったことはない

ただ、私が殺されたり、事故死をしたり、原因不明で死んだ場合は、まずパチンコ屋の仕業(金がらみでないと、言論活動に腹を立てて、殺しまではしない)と思って、誰かが遺志を受け継いで、それを調べてほしい

日本の警察は、私が事故死なら、事故死扱いをするだろうし、ましてパチンコ屋が疑わしい場合は、絶対に捜査をしないだろうから

さて、昨日、私が仕事が本当ならやめたいと書いた

映画を撮るために仕事を続けていると書いたが、今は書けないが、いくつかの仕事の種まきはしている

おそらく1000分の1くらいの確率しかないが、そういう仕事が上場できるくらいうまくいったら、脚本や小説を書くための準備期間にして、しばらくは仕事をやめるかもしれない
(緑鐵と臨床医の仕事は続けるだろうが)

実は、毎日、こうやってタダでブログを書いているし、小説も書きたいなどと書いているので、よほど書く仕事が好きなように思われるが、実は、そうではない

このdynabookがストレスフルなこともあるが、本当は文筆業を休みたいと思うことは多い

1冊でもいいからミリオンセラーが出たら、ちょっと休みたい

ただ、逆に本が売れると執筆依頼が増えるという矛盾が生じる

そこで、断っていると、次が来なくなるからやはり受ける

大して売れはしないが、損はさせていないので、執筆依頼は止まらず今にいたっている(幻冬舎だけはハードルが高く、彼らからすると売れていないとみなされているので、出す企画、出す企画みんな断られている)

雑誌と比べて、WEBの執筆依頼は、字数の制限も緩いし、比較的書きたいことを書かせてくれるので、多少原稿料が安くても受けることにしている

もうひとつ、書きものに関して、執筆依頼を受けるくらいだから、それなりに私の書いたものを気に入ってくれている人がいるからの依頼だと思うから頑張れるところもある

ただ、ときどき、前の編集者からの引き継ぎとか、上司に言われて、いやいやの編集依頼もあるのかもしれない

歳をとったおかげで、テレビ局の人間ほどは、態度のでかい人はいない

みんな低姿勢で、先生、先生と言ってくれて、気恥ずかしくなるし、「いつも、面白い」とか、「いつも素晴らしい」とか言われると、バカだからやる気になってしまう

ただ、これに関しても、根が疑い深いから(自分ではおめでたい人間になりたくないから、また、疑う姿勢は大切という信念もあるから)、単なるお世辞ではないかと疑いをもつようにもしている

心理学をやる人間が、相手がお世辞で原稿を気に入っていると言っているのか、そうでないのかを試す簡単な方法がある

締め切り前に原稿を送って、「気に入らなければ、まだ直す時間がありますから」と声をかけるのだ

マンガや文芸の編集部の人は、著者を鍛えるために、若い著者には徹底的に書き直しをさせることはあるようだ

ただ、名が売れてくると、よほど気心の知れた編集者と著者のコンビでないとこれはないようだし、へそを曲げる著者も多いと聞いている

実際、私の書きものが必ずしもいいと思うほどうぬぼれていないが、向こうが気に入っているから仕事を回してくれることもあって、最近は、ほとんどと言っていいほど、直せとは言ってこないで、「早く書いてもらって嬉しい」と喜んでもらえる

おそらくは著者の気分をよくしておきたい、いからせたらまずいという配慮ができているのだろうし、通常の出版社にいると、そういうことは叩き込まれるようだ

ところが、久しぶり(5年以上記憶にない)に早めに原稿を入れて、「まだ直せます」と言ったら、本当に直せと言ってきた

WEB系の編集者だから、どんなことを言ったら著者が不快になるかの想像ができていないうえに、私の原稿もひどかったのだろうが、私も、このブログの読者ならわかるだろうが、気が短いほうなので、ちょっと腹が立ってしまった

少なくとも、その原稿を書くモチベーションが大幅に落ちたのは確かだ

心理学を仕事に応用するとかいう企画なので、向こうが要求したのは、もっと心理学的な説明をしろというのと、具体的な心理テクニックを書けという話だった

ただ、私自身が、心理学というのは、理論より、相手の気持ちを考えるほうが大事というコフート学派で学んできたこともあって、そういうことを求めるなら、いい加減な心理学用語を並べる若い学者がいっぱいいるだろうと言いたくなる

少なくとも、私がさんざん心理学関係の本で、共感とか相手の気持ちを考えるのが大切と書いているのを読んでいないのか、それで私に執筆依頼をしたのかと、ますます不快感が募った

こっちも大人げないのはわかるが、心理学を仕事に応用しろという限り、相手の気持ちを想像する「態度」(能力でなく、日ごろからの心がけが大切というのが、最近の心理学のスタンスである)をもってほしいと思った

実は、私は、大学院で、学生がカウンセリングをするのを指導する、スーパーヴィジョンというのをやっている

いろいろな学会で、ほかの人のスーパーヴィジョンをみていて、いちばん不満な点や、子育てカウンセリングでいちばん不満な点は、相手をぼろくそに批判することで、若手のカウンセラーや母親がかえって、自信をなくしたり、萎縮することだ

私も知らないうちにそうしているのかもしれないが、これだけはないように、自分なりには気を遣っている

もちろん、通信教育のスタッフの学生にもそうだ
(今は彼らにほどんど不満がないくらいいい仕事をしてくれているが)

だから、大学院の学生であれ、通信教育のスタッフの学生にも、呼び捨てにしたことがないし、必ず敬語で呼んでいる

ついでにいうと、そういう人間だから、若い人に偉そうにされると虫唾が走る

灘というのは、ろくでもない学校のようで、後輩の国会議員に二人くらいあったが、ありえないような態度だった

心理学とは難しい学問ではない

まず相手の心理を想像することを習慣づけるだけで、だいぶ違ってくる

私も、こんなに言いたいことを言うが、会ったことのある人間には意外に嫌われないのはそのためだと自負している

(この編集者は、こんな書かれ方をして、読んだら、すごく腹をたてるし、私のことを嫌いになるかもしれないが、面と向かって言えないのも私のダメなところである)