本日はとくにとりあげるべきメッセージがないので(787の事故は省エネのためにバッテリーを大きくしすぎたというのは多少面白かったが)、朝のテレビをみての感想にする

日本では、専門家でもない芸能人のようなコメンテーターが多くて白けてしまう

アルジェリアが人命軽視と批判しているようだが、いろいろな国にとって、テロリストを撲滅することより、外国の人間の人命より大切なのは当然なことだ

人命を出すリスクが取れないなら、こんな危ない国からは撤退するというのが、先進国側のとれる唯一の抗議の仕方だろう

そのときに、海外資本を入れることをとるのか、テロ退治をとるのかを決める権利はその国にある

お題目のようなきれいごとばかりを言うコメンテーターと専門家の欠如に辟易する

それ以上にコマネタのニュースに対するコメントがひどい

0.35%の塩酸を教師が生徒に飲ませたからと言って大騒ぎをしているが、そのくらいの濃度だとまずいと感じる(生徒が口にしたとたんに吐き出したと騒いでいるようだが)くらいのレベルだ

処罰としてやったとのことだが、罰にすらなっていない気がする

そもそも塩酸は胃液に含まれるものだ

こんな知識が中学生になっても、あるいは親のほうにもないほうがよほど問題だ(もちろんテレビのコメンテーターもそうだが)

センター試験で途中で問題をもったまま出て行って予備校関係者に手渡したとかいうが、要するに予備校が早めに手に入れて解答集を、帰りの門で配ろうとしただけだろう

受験のことがわかっていないやつがコメンテーターにそろっていたが、小学校から大学まで付属で上がっていったタレントや、大学に行っているのかもあやしいモデルがコメンテーターでは、さもありなんという感じだ

大阪の体罰事件の学校の体育科の入試の中止をめぐって、何の罪のない受験生が可哀想という批判がある

今からだとよその学校の受験準備ができないと

そのことがなんで問題にならないんだ?

義務教育を受けて、体育科にしか受からないような人間を社会に出すほうが、義務教育の精神を逸脱している

義務教育というのは、社会に出て最低限の知識やスキルを身につけさせるためのもののはずだ。逆にいえば、このレベルに達していなければ、新聞そのほか仕事上の文書の読み書きや最低限の計算、社会的知識が欠如したまま、世の中に出されてしまうことになる

生活保護をコテンパンにたたいておいて、スポーツの選手か肉体労働しかできない(体が弱ったら生保に落っこちることを意味する)人間を世に出すことを公認するのは、どういうことか?

それとも、アベノミクスが終わっても、自民党政権であれ、それ以外の政権であれ、こういう教育の犠牲者を食わせるために、肉体労働を政府が提供し続けるというのか?ロボットがどんなに進歩しても、こういう人間を食わせるために人間を雇うようにしろというのか?

親に経済的負担をかけたくないから公立でスポーツを続けるというが、本当にスポーツができるのなら、私立だって多額の奨学金を出すだろう(最近は禁止されたようだが、授業料免除くらいにはするのではないか?)

大人は可哀想ではないのに、子供は可哀想というのがコメンテーターの約束事のようだ

むしろ、昨日だったと思うが、大人の自殺を減らすために床屋さんが協力する、床屋さんにメンタルヘルスを教えるというNHKのニュースのほうがよほど感心できるものだった

事件を大騒ぎするより、本当にたくさんの人が死ぬ自殺対策のほうが、よほどニュース価値がある

私のブログあてのメッセージと比べて、テレビのコメンテーターのレベルの低さに情けなくなる