大晦日が余計な仕事が入ったため、部屋の掃除が遅れて、本日にもつれこみ、結局、年頭所感を今頃書くことになった

メッセージもいくつかいただいているが、申し訳ないが、個人的な受験計画についてのコメントはできない

本人の学力を把握しない限り、それが合っているがどうかわからない。だから緑鐡をやっているのである

あと、年収5.600万はやはり多くの人にとって、夢のような金額だということがわかった

でも、先進国の国民である以上、食べられればそれでいいというわけではない

アメリカのような国でも中流の条件は、バケーション(夏とクリスマス)の際に1,2週間の旅行に行けるということのようだった

もちろん、自分の車で動き、家族で50ドルくらいのところに泊まるというようなことは当たり前だったが、それができなくなったら、下層ということのようだった

でも、彼らの中流幻想は家族の誰かが病気をしたときと、子どもがコミュニティ・カレッジでないちゃんとしたユニバーシティに行きたいと言った段で、崩れ去ってしまう

病気の家族を救えないし、子どもを大学にやることすらできない

それが年収2、3万ドルの世界だった

ヨーロッパでBIとか生活保護とか失業保険というと、大学も医療も原則タダの上、ちゃんと再教育が受けられるとか、子どもがいるなら旅行くらい連れていってやれるとか、町に一つくらいあるオペラのできる劇場に年に一度や二度は行けるとか、そんなレベルだ

食べられるしか保証しないのなら、奴隷と同じというような考えなのだろう

私も、今ですら、食べるのがやっとの生活保護をさらに削るのは許せない

日本人の最低基準を下げるということは、日本人のその手の文化レベルを下げることにもつながる

むしろ生活保護でも年収2.300万、働いていれば、世帯年収ベースで600万くらいの国にならないと、「ちょっといいもの」は売れないし、文化やグルメは発達しない(大金持ち用は別として)

日本が先進国でい続けられるか、発展途上国に戻るのか(軍隊が強くても、国民の生活レベルが低ければ発展途上国の扱いを受ける)の瀬戸際なのを、今の新首相はわかっているのだろうか?

本日も上野にたまたま行ったので、久しぶりに乞食をしている人をみた

こんな寒いのに、まだこんな国なのかと哀しくなった

怠けものは、そうなって当たり前という国は、少なくとも福祉国家とは言えない

さて、年頭所感だが、昨年はアンチエイジングの話と、『「わたし」の人生』の話を書いたようだ

小説デビューなんかも書いていたが、『「わたし」の人生』のノベライズは書いたが、とても、小説家とは言えない

人のために役立つ人間になりたいとも書いたが、これも程遠い

今年は、自分のそんなダメさ加減を認めて、ダメなりに頑張ることにした

映画であれ、文筆業であれ、与えられた仕事があれば全力でこなす

一流などというおこがましいことは言わない

おそらく、私は、たぶん、残りの人生で、売れっ子などになることはないだろう

でも、たとえばたくさん本を書くとか、やれる範囲で頑張ることはできる

学歴はあっても、才能のない人間が、ないなりに頑張り続ける

自分の頭で考え、流されずに、自分の意見を言い続ける

私の通信教育や塾の生徒、そして、患者さんなどのために、最良の結果がでるように頑張る(和田式の被害者というのは、ほとんど本の読者で、通信の受講生ではないーー今のところ、そういう人で被害者と書いている人を直接聞いたことがないーー、また、元患者さんにも今のところ、批判されたことはない)

そういう普通のことを普通に頑張る人間になりたい