「和田さんが根拠としてまだ述べられてていない私が考える相続税100%の効用を1つ述べさせていただきます」(引用)ということで、「私の住む岡山では、マンションより一戸建てが中心で、しかも自宅を売却する間もなく無人となった住居が最近目立ってきました。転居転勤で家族揃って引っ越す家庭は昔からある割合であったと思いますが最近目に付くのは、子供が親元離れ独立し、老夫婦だけで暮らしていてついに夫婦共々亡くなったケース、どちらかが亡くなり1人身の老人が特養介護施設等に入居してしまったりしたケースです。売却しようにも買い手がつかないのかもしれませんが、もぬけの殻の廃墟と化し、無人住宅が急に増えてるように思います。これは、不動産市場としてみた場合でも大変もったいない話であり、有効活用とは程遠いし他の不動産相場にも影響与えていると思います。
所有権が民間の個人にある場合国あるいは自治体としてもどうすることもできないため、ほったらかしになっているようです。しかも今後高齢化はますます進行していきますから、老朽化した無人住宅は現行制度下では激増するのではないでしょうか。居住人口が減少していくのに、住宅個数は減少しない、これは、岡山のみならず全国の地方都市共通の現象ではないかと察します。」(引用終わり)というメッセージをいただいた

確かにこういう私の気づかない話にメッセージを戴けると、自分が賢くなるので大変ありがたい

ただ、これには納得はできる。本に書いたかどうかとか、ブログに書いたかどうかは覚えていないが、農地に関しては同じようなことが起こっていると聞いたことがある。要するに子どもたちがみんな東京に出て行ってしまって、親が死んで農地が荒れ放題になっている、あるいは、兄弟の一人が継いだのだが、残りの兄弟に地代を払うかどうかのトラブルで、そこの部分が荒れ地になっているなどだ

私は、これに対して、原則的に相続税を100%にして、農業などの事業継承をしている人だけは、むしろ0%にする(ただし、事業継承をしないで売り払ったらそのときに税金を払ってもらう)という形がいいのではないかと思っている

そうすれば、子どもたちがみんな東京に出てしまっている場合などは国が召し上げることになるし、子どものうち一人だけが農業を継いでいる場合は、よほど兄弟仲が悪くない限りは、どうせ国に召し上げられるならと財産放棄をして、その一人が、農地を継ぐことになる。ほかの代々やっている家業にしても同じことだ

この人が心配しているように、金持ちの抵抗が大きくて、この政策の実現は困難だろう

産経のMSNのニュースを見ると、「オバマ再選は、熱狂から失望へと振れた民意を映し出す鏡となった」とされている。その根拠が、「米大統領選の結果の正直な感想だが、市場はもっと辛辣(しんらつ)だ。

 オバマ再選の結果を受け、7日の米国株式市場は急反落して始まり、ダウ工業株30種平均は一時360ドル超も下落。取引時間中としては約2カ月ぶりに1万3000ドル割れとなった。年明けに大型減税の失効と、歳出の強制削減を迎える、いわゆる『財政の崖』への不透明感が嫌気されたとみられる。
 ただ、それはオバマ政権2期目に対する不安を明確に示したものだ。」(11月11日付)だという

金持ちの刷りこみのうちで一番大きなものが、株価が景気や掲載政策の成否の指標のように大衆や、あるいは、これを書いたアホなマスコミのような人に刷りこんだことだろう

経済の指標というのは、成長率や失業率の低さのはずである

金持ちは、たとえば金持ち増税など、自分たちに気に入らない経済政策をやると株を売り浴びせるような嫌がらせをする

そして、経済政策が悪いように大衆やマスコミに思い込ませる

オバマがこんなものにひるまないように期待したい

さて、昨日は精神分析学会で、被災者支援のシンポジウムをやっていた

フロアからの発言を許されたので、手をあげたのだが、長老に遠慮した司会者が、私を無視して、被災者支援の経験のない3人ほどのおじいさんのような人ばかりが、お世辞なのかよくわからないような発言をしていた

私は、幸か不幸か、被災者支援は、神戸でも東北でもやっている

神戸のときは1年間週1回通った

今はいわきの原発の中で働く人のメンタルヘルスのボランティアをやっている

私の経験する限り、災害のあと、深刻なPTSDや外傷性の精神障害になるような人は、もともとそれ以前の過去に問題のあった人だ

それを共感的にサポートしながら、過去と現在を結び付けている

この作業はコフート学派の精神分析の立場からやっている

これは今はやりの認知行動療法では対応できないものだ(森田は過去は扱わないとしているが、過去はきちんと聞くし、過去に対するかまえをかえようはいうアプローチはある)

精神分析も分派が激しくて、何が共通項かわからなくなってきたが、過去を扱う、過去が自分を作ってきたという視点は共通だろう

コフート学派だってそうだ

現在に共感するだけでなく過去にも共感する

そういう点で、トラウマの治療というのは、精神分析家のアイデンティティを取り戻すのに重要なものだと私は考えている

どこかの政治家が小異を捨てて大同でまとまろうといっているが、アメリカですら、精神分析が落ち目になっているため、その方向性になっているようだ

私が一緒に飲んだ、アメリカで精神分析医をやっている先生によると、伝統あるカンザスシティのインスティテュートではソーシャルワーカーはもちろん、弁護士まで入会を許されるという

私がときどき顔を出すロスのコンテンポラリーのインスティテュートでもソーシャルワーカーや精神科のナースも少なくない

もう一度、分析家のアイデンディティを見直さないと、精神分析は単なる座学になってしまうのではないか?