私の講演情報を知りたいというメッセージをいただいた

なんかいい方法がないかとは思うが、とりあえず、今後は一般の人でも聞ける講演に関しては、なるべくお知らせするようにしたい

本日の毎日新聞で、サン・グループ事件というのを知った

障害者を虐待し、何人も殺したサン・グループという会社の社長が出ていたが、証拠不十分ということで虐待も、その致死も罪に問われなかったそうだ

在職中に何人も死んでいたら、多少は怪しいと思ってもらわないと困るのだが、相手が障害者だと死んでも普通というのが日本の警察の対応なのだろう

尼崎の事件でも殺意の立証は相当困難だそうだ

前から思うのだが、傷害致死の場合、なんで殺意の立証責任が、検察側にあるのかが不思議で仕方がない

どんな形であれ、人が死んでいるのだから、殺意がなかったことを殺した側が立証できなければ、殺人罪を適応するという法体系になぜできないのか?

毎年15万人も変死が出る国なのに、ほとんどがフリーパスなのも、警察が立件が難しそうなケースではさっさと手をひくからだそうだ

だから、日本の殺人事件が年間1100件しか起こっていないというのはものすごくあてにならない数字のようだ

人が3人死んだくらいで、飲酒事故を起こした人の罪だけでなく、事故も起こしていない飲酒運転をする人まで厳罰化するような国なのに(それで地方の飲食店がどれだけ潰れ、その関連でどれだけの人が自殺したかはわからない)、実際に、人が死んでいても、傷害致死とか、証拠不十分でほとんど罪を受けない人が多いパラドックスは何なのだろう

国会というのは立法府なのに、国会議員が、人気とりばかり考えて、まじめにこういうことをとりあげない

集団暴行の厳罰化も、私が聞く範囲では、国会議員が地元のヤクザに遠慮して、立法化は難しそうだということである

リンチができないと、食い逃げとか、売春をする人が逃げたりとかしたときに、こらしめられなくなるから困ると、やくざでなくても、その手の人に言われて、立法化できないという噂が本当でないと信じたい

さて、講演会で長崎に来ている

ついでに映画の舞台挨拶もやる

昨夜は長崎の飲み屋街に、連れていってもらったのだが、ものすごい昭和の風情のあるいい街だ

こんな街で映画が撮れたらと本心から思う

私の映画を上映してくれるセントラル劇場というところにもいくが、とてもレトロでいい

社長さんも支配人さんも本当に映画好きの純朴な人でとても嬉しくなる

で、今朝は長崎の原爆資料館に

長崎の場合、地形が入り組んでいたのと、原爆が予定通りの場所に投下されなかったために、よりによっていちばんクリスチャンの多いとこら辺に落ちて(その上、被差別部落まであったようだ)、意外に街の中で、被害が小さかったところも多いらしい

実際、ほとんど原爆で無傷の天主堂もある

いっぽう、浦上天主堂や近所のミッション系の女学校は大きな被害を受けて、そこにいた人はほとんど亡くなった(全員かもしれない)ようだ

なぜ、こういうことをもっと外国に訴えないのか?

たとえば、ローマ法皇に、よりにもよって、原爆を日本最大の天主堂に落としたとか、ミッション系の女学生を皆殺しにしたと訴えれば、さすがく核兵器をやめろとローマ法皇に言わせることができるかもしれない(過去に言わせたことがあるのかもしれないが)

アメリカというのは、やたらにカトリックの原理主義の強い国だから、ローマ法皇に言わせれば、多少なりと影響力があり得るだろう

ヨーロッパを味方につけて、アメリカがひどいということを言い続ければ、日米地位協定だって変えやすいかもしれない

欧米に議論で勝たないといけないと思っている人が多いようだが、宗教が強いということは、それなりに感情戦をうまく使えば勝てるということだろう

韓国だって、慰安婦問題を歴史的にはおそらくでっち上げでも、情に訴えることで、国際世論を味方につけようとしている

被曝国の上に、それでもアメリカにへいこらして、核兵器の使用が国際法違反だという提案にも乗れないのなら、マゾとしか言いようがない

そのくせ、被爆国である故、放射能問題にやたらにナーバスで、原発も動かないで、国際競争力も低下するし、大量の失業者も出している

日本の被曝は、一に原爆、二にビキニを初めとする核実験、三にGEの出来そこないの原子炉を売りつけられたためのものなのに、アメリカさまさまだ

それに比べて、アメリカは日本製の原子炉を買って原発を増やそうとして、電力コストをさらにカットする

被曝は被曝として、真摯に受け止めないといけないが、それを外交上の駆け引きに利用できないところは、自民党も民主党も変わらない

石原さんくらいならそれができるのだろうか?

原爆が落とされたときに、俺はちゃんと生きていたというのも強みだと思うが

この原爆の資料館を見て、唖然としたことが一つある

資料館で悲惨な被害を見た後に、日本が原爆を落とされるまで何をしてきたかという戦前の政策批判がなされている

自業自得だと言わんばかりだ

市民の無差別爆撃は、戦前の国際法からしても違反だ

こっちが悪いことをした戦争だから、相手が何をしてもかまわないというのなら、北方領土だって返してもらえないだろう

韓国が従軍慰安婦のことを言うなら、日本人の引き上げの際に受けた、彼らからの暴行やレイプだって、本来は訴えないといけないことだ

戦争に負けたって、負けた国の市民への犯罪行為は許されていいわけがない

長崎で痛感したのは、日本人はよくよくけんかの仕方を知らない国民だということだ

戦争に負けたのは、当時の日本軍であり、日本政府だろう

一般の日本人には、ちゃんとした人間としての権利がある

それがあまりに忘れられている。そして、それをあまりに訴えない。被爆者の訴訟も、いつも日本政府対象で、アメリカ政府を訴えたことがないはずだ(あったら教えてほしい)

それなのに、こんな原爆資料館でさえ、当時の日本が悪かったから落とされたというストーリーがまかり通っている。悪いことをした国でも一般市民対象の原爆投下は絶対に許されない。百歩譲っても、軍事基地とか、軍人対象の使用しか当時の国際法だって許していないはずだ

尖閣や、竹島以上に、言うべきことはもっとある

ただ、日本の経営者たちがケチで、自国民の従業員の給料をカットしたり、クビにしたりで、日本市場をどんどん小さくしているから、そのうちに不買をおそれて正論が吐けなくなる

そのことこそ、真の独立を失う時だ