昨日のブログに対して、今、鬱で寝込んでいるという方から、躁のときのほうが人に迷惑をかけるというメッセージ

これは、その通りだと思う

そして、鬱になるとそれをひどく反省し、自責感が強くなるから余計に鬱が悪くなってしまう

私の患者の主婦にしても50代発症の鬱病、身体化障害だったから油断していたら、ちょっと来なくなったと思ったら、躁転して何百万円もカードを使い、万引きを何回かしているうちに警察につかまって、私に照合が入った

精神科医としての未熟さを痛感した

それ以降、躁病については早期発見に努めているためか、少なくとも警察沙汰とか、カード破産のようなトラブルはない

ただ、運が良ければ、軽い躁状態で止まることもある

その場合は、強気でい続けることができるから成功者にもなり得る

ユニクロの柳井氏のように、9敗してもチャレンジし続けて、大きな一勝を勝ち得るというのは、慢性躁状態のようなところがあるのかもしれない

強気なのはいいが、弱者に対して、躁状態の人は無視しがちになる

日本の強気の成功した経営者たちを見ていると、そういう傾向が強い気がする

ただ、日本は今、強気の人を求めているから、ある程度躁状態のほうが喜ばれる気もする

ただ、それが余計に格差を大きくしてしまったり、外交上の軋轢を強めたりしかねないし、また、あとで鬱になって本人が苦しむのを大きなお世話だが心配するだけだ

島根県が自殺を、自死と呼びかえるらしい

日本の場合、こういう名前の呼びかえは珍しいことではない

痴呆症が認知症になり、精神分裂病が統合失調症になった

ただ、それで差別が治まったかというとそうは思えない

また、もともとの言葉が変わっていないというのも不便のもとになる

認知症とdementiaでは似ても似つかぬ言葉だし、統合失調症とschizophreniaもやはりかなり違う言葉だ

自殺についても、英語ではkill oneself かsuicideということになるが、cideは殺すという意味だから、やはり自死より自殺のほうがよく符合する

欧米では、自殺は絶対に悪いことと考えられているから、殺ということばが使われるのだろう

日本は、自己決定だという考え方が強いが、私は、その瞬間、精神状態がおかしくなっていて、つい自分を殺してしまうのだと考えている

どちらにしても、自殺を肯定するように聞こえる自死なんて言葉は、自殺の多い国にふさわしくない

さて、本日は、講演で福岡にいるが、前泊したので、またお気に入りの味美に行ってきた

ここはいつ来ても本当においしい

焼き物などは、岩手のマツタケ(かおりが素晴らしかった。今年最後のものだそうだ)、フグ、鯨ベーコン(これは炙るとおいしいのを初めて知った)の3連発なのだが、すべて炭火で焼くのがすばらしい

刺身も名前を忘れてしまったが、伊勢エビのようなものが出た(南九州でとれるらしい、知っている人がいれば教えてほしい)のだが(尻尾をみると伊勢エビのようだった)、伊勢エビより口当たりがよくて刺身向きだ

さらに、その味噌を食べるとまったく臭みがない

これだけおいしいものを出されると、もう逆らえない気分だ

そして、あえてこれ以上は書かないが生まれて初めて食べた珍味もあった

そのほか、かなり食べたが、何もがうまい

酒も菊姫の大吟醸、黒龍の吟など銘酒をつい3合も飲んでしまった

しめのにゅうめんがうまいのだが、とんこつならず魚骨の白濁スープのもので、これがうまい

これで24000円

東京の感覚ならあきらかに安いと思うのだが