いつもメッセージを下さる鋭い方から、生活保護を受けるような貧困者は友だちを作れという言辞が多いが、金の切れ目がなんとかで、それが作れないことが問題だというメッセージをいただいた

その通りと思う

いったん落ちぶれてから友だちを作るのはそんなに簡単なことでない

自殺をする人を見ていると痛感させられる

そのためにきちんとしたカウンセリングや心の治療が必要なほどだ

孤独にたえて、社会に迷惑をかけていないのだから、生活保護くらいつけてやれというこのメッセージの主の主張はものすごく納得できる

労働に歓びを知れという人も多いらしい

労働が全部楽しければ、こんな理想郷はない

というか、労働というのは原則つらいので、対価や賃金が用意されるものだ

欧米の労働者はそこを割り切っている

仕事は生活の糧を得るためで、つまり生きるために働くのであって、働くために活きるのでないと

日本人は、そこを勘違いしている

第一、働くことが歓びなのだったら、失業者は不幸なのだから、気の毒な失業者に生活保護をつけるほうが、むしろ好ましい

さて、昨日のメッセージの主だが、戦前のエリート教育を受けた人が社会の一線を退いてから日本がダメになったという意味のことを言っている

私の今書いている本にも似たようなことを書いているのだが、戦前のエリート教育と戦後のそれとの最大の違いが、教養教育だとか、国策的なエリート教育だとかという、通り一遍のことを私が言いたいわけではない

戦前は、よきにつけ、あしきにつけ、国民は天皇陛下の赤子であった

自分がリッチになるためでなく、国のために勉強するのだと公然と言われていた

世襲の独裁者がいるより、民主主義のほうが、私にはましなので(といいながら、選挙区単位でみると、好き好んで世襲のお殿様を選ぶ地域がたくさんあるが)、戦後民主主義そのものが悪いとは思っていない

ただ、そこに資本主義がくっつくと、国より民が大事であり、民の富が大事ということになって、国のために財をなげうつより、自分の富を守ることに汲々とすることになる

金を稼いだ奴ほど偉く、金をもっているほど偉い

学歴をつけたところで簡単に逆転できないから、負け組は勉強しなくなるので、国民の学力は下がる

国という概念がないから、困った時はお互いさまと思えない

金があるときは税金を払い、金がなくなれば、生活保護を受ける

そのどこがいけないのか私にはよくわからない

税金というのは、確かに今困っている人の社会保障に使われるが、払っていれば、将来、自分も社会保障を受けられる期待があって払うものでないのか?

国が信用できないから税金を払わないという人がいる

その人は世界中のあちこちに移り住み、どこの国でも税金を払わないそうだ

だが、ただ払わないだけなら不公正以外の何物でもない

国に税金を払わない代わりに、あしながおじさんに税金分だけ寄付するとか、学校や自治体に寄付するとか言うのなら、納税の新しい形と言えるかもしれない

自分の力だけで、金を稼ぎ、自分の金はすべて自分のものだという発想が不遜でないとされることこそが戦後民主教育以上に不気味だ

戦後民主教育はアメリカが日本が再び強い国にならないために始めたという説がある

ただ、一時期は、国を再建しようとか、国を再び強くしようという気概が、教育者にも生徒にもあったはずだ

それにしても、戦後、国を強くしようとか、国のためという発想を教えてこなかったのだから、拝金論が跳梁跋扈するのも仕方ないかと思えてしまう

本日は、愚痴っぽくてつまらないかもしれないが、私にとっては本音だ