『悩み方の作法』という本を書いたら、amazonでさっそく酷評された

下手な悩み方で悪かったな!というタイトルで書かれた、この書評では、「悩み方について、精神科医の本を読むのであれば、この手のハウツー本ではなく、強制収容所を体験されたV.E.フランクルの『夜と霧』や『それでも人生にイエスという』などを何度も読み返すべきだと思います。深みや説得力が全く違いますから。」

と言いきっている

私は人様の生き方に介入する気はない

ただ、患者として助けを求める人や、私の本やブログを読んで下さる方には、私と価値観を共有してもらいたいと思っているし、「より適応的に」「より要領よく」生きてほしいと思っている

不器用に生きるほうがいいと思っている人とか、いつまでも悩み続ける哲人のような乞食のほうが、悩まず(実はある程度は悩んで決断するのだが)に実行に移して成功者になるような人より高級だと思っている人には、あまり私の本や治療は合わないのかもしれない

昔は、精神科医というのは、患者さんを治すことをあまり求められなかった

いい薬がなかったし、治らないで当たり前だと思われていた

ぽかっと治ることはあったが、医者の力なのか、患者の力なのかはわからない(今だって、治す補助はできるが、最終的には患者の力だとは思うが)

フロイトだって、生涯に治した患者の数は50人もいかないとされている(ここでいう治ったというのは、仕事にいけるようになったとか、主観的な苦しみが減ったとか、症状がとれたということなのだが、晩年のフロイトは、自我がしっかりすると二度と分析医に頼らなくてもいいという意味で、完治のモデルをもっていたようだ)

そういう時代の精神科医は、おそらく、この書評を書かれて方からすると「深みや説得力が全く違いますから」という人が多かった

今の時代の心の治療というのは、いつまでも悩んでいないで、ものの見方を変えろとか、行動をしろ、そうしているうちに心のありようが変わるし、適応もよくなるというプラグマティックなものが主流である。その中で、かつては、ろくに治せない精神分析の理論家に押され気味だった森田療法が息を吹き返してきた

私自身、その立場にいる。昔は、精神分析という時間のかかる治療をベースにしていたが、今は森田療法をベースにするようになったし、ますますそういう立場になっている

一つは、この国が弱者に恐ろしく冷たく、いつまでも悩んでいることを許さない社会になったということが大きい

終身雇用の時代であれば、そういう人間でも食べていけたし、我々が診断書を書けばいくらでも会社においてくれた

今はそうはいかないし、失業して生活保護を受けようとすると「働けるのに悩んでばかりいるな」とバッシングを受ける

私自身、今のむきだしの資本主義や生活保護叩きは許せないし、それはブログに書いてきたが、目の前の患者さんに対して、「社会が悪い」「心の病は社会がうんだもの」「こんな社会に適応する必要はない」ひどい場合には、「一緒に革命を起こそう」などと言っていた、昔の闘争家の精神科医のようなことは言えない

こんなひどい社会でも、どうにか適応のすべを考えるのが、仕事としての精神科医の立場だと思う

自分は高収入と安定した地位を得て、貧乏で苦しむ患者さんに、悩み続けるほうが人間として深いなどと慰める気にはなれない

治せなかった時代の精神科医の哲学書のような本が高級で高尚で、治せたかどうかは知らないが、とりあえず現実適応力をつけさせる(精神科医は病気や病的状態を治すのが仕事であって、一般の人間をより哲学的な深い人間にするのが仕事だとは、私はまったく思っていない。それこそ僭越である)医者の書くものが、浅いとなど言われたくないが、どうも日本の場合は、理論が立派な人間のほうが、実践で実績を上げる人間より評価される傾向があるようだ

フランクルにしても、いつ出られるかわからない極限状態である収容所にいたから、そういう深い悩みができたのかもしれないが、檻の中にいない人に、同じように悩めというのは、人を檻に入れるようなもののように思えてならない

もちろん、森田療法でも、絶対臥褥期には徹底的に悩ませるのだが、これは悩んでいてもばかばかしく、何かやりたいという気にさせるための方便だ

もう一つは、今の日本を見ていてわかるようにいつまでも悩み続けて行動に移せないと、世の中が変わっていかないし、この国がアジアの国々に負けてしまうということがある

韓国人の学者先生は、日本人が悩み続けてくれたほうが、プラグマティックで動きの速い韓国に負ける結果になるので嬉しいのかもしれないが、私は日本人として見ていられない

大きなお世話かもしれないが、この書評を書かれた人は、社会で成功までしていなくても、現実世界に適応できたり、満足できたりしているのだろうか?

ならばなぜ『悩み方の作法』などという本を手に取ったのだろうか?

ほかの患者さんにフランクルのほうが説得力があるというが、なら、この人は「悩み方が下手で悪かったな」などとなぜ言うのか?フランクルの力で、悩まなくなったり、適応能力がよくなったのなら、それを勧めるのが人のためだが、自分がまだ悩んだままなら、そんなものを人に勧めるのは無責任だし、そういう本に説得力があるとはとても思えない

ただ、森田療法の医者は、森田療法で治る人もそうでない人もいる

人の話を聞きいれる気のないパーソナリティ障害の患者さんには外来森田療法は無理だと

私も、本書は、まだ、人の話を聞きいれる気になる、通常の神経症レベルの人や、ちょっと悩みやすい人に勧めてみたい

でも、この人も、私が怒ったり、確実に嫌うのがわかっていて、こういうものすごく攻撃的な書評は悩みなしに送れる(悪いこととは言っていない)。あることで悩んでいる人は、ほかのことで悩めなくなる、だから、自分の悩みのために、かえって対人関係が悪くなることがあるということを書いたが、ケースとしては典型例のような気がするが(それとも匿名だからだろうか?)