健美屋という別のコラムで、施設入所は親不幸でないし、選択の可能性として考えるべきだと書いたら、現実問題としてできないというお叱りのことばをいただいた

それは、私もわかっている

その実態を知らせるために私が、『「わたし」の人生』という映画を作ったのでご理解願いたい

浜村淳さんのラジオに出させていただいた

実は、今から40年以上前中学受験の際に、浜村さんの『ヒットでヒット バチョンといこう!』というラジオ番組を聞いていた

その後、『サタティバチョン』だったと思うが、浜村さんの名語り調子で『祭りの準備』という映画の紹介を聞いて、それが無性に見に行きたくなったのが、映画狂いになった記憶がある

そういうわけで、このラジオ出演に関しては、感無量だった

実は、私はテレビに出るより、ラジオに出るほうがずっと嬉しい

これは、最近、ますますその感を強めている

1分以上のコメントを話せないところで、まともな話などできない

15分話せるラジオだから、いろいろな例をあげられたり、ほかの可能性も話すことができる

そこで、ふと考えたのだが、逆にリスナーとか視聴者とかいう観点からみても、テレビを見ていると単純思考になるが、ラジオを聞いているといろいろな可能性でものことが考えられるようになるのではないかということだ

私たち、深夜放送世代の人間は、大人のいうこと、世間のいうことに異論をもっていたが、今の若者はあまりに思考パターンが単純だ

ネット右翼についても同じだ

何の審査もなく、言いたいことを言っているのだが、思考は深まらない

我々のころであれば、ラジオに投書して、選ばれることがものすごく名誉だった(と言いながら選ばれたことのない才能のない人間だったが、選ばれる奴は羨ましかった)

大人をうならせ、笑わせないとラジオでは取り上げてもらえない

秋元康氏などは、それで高校生から放送作家活動を始めている天才である

ラジオ文化が復活しないと若者の単純思考は治らないのではないかと、ちょっとさびしく思ったのは事実だ