今回の九州の水害について、「和田先生の言葉に気をつけながら報道に注意していましたら、本日(7月15日)付け 朝日新聞に『金子健次(柳川)市長は、「柳川は元々水路が張り巡らされており、保水能力が高い。しかし、上流のダムが放水して、一気に下流に大量の水が流れ込んだ。こんな水害は初めてだ」と話した』との記事がありました。福岡県柳川市は今回の大雨で2つの川が決壊して、甚大な被害が出ています。
先生の言われる水力発電ダムかどうかわかりませんが、水位をめいっぱい上げていて放水せざるを得なくなったということでしょうか」(引用終わり)というメッセージをいただいた
こういう情報は貴重だ
このメッセージの主は、私が去年の和歌山の水害について、原発を止めた影響を指摘したことを感心してくれていたが、これも実は読者からの情報だった
こういう読者をもてるのは、非常に幸せだ
別の元警察官の方から、「まず1つの事実を指摘させてください。私がネットのニュースで見たことですが、父親が警察に被害届を提出しようとしたのは、自殺の後ということです。」(引用終わり)というご指摘をいただいた。この方の言う通りなら、まったくの事実誤認であり、警察の人のその後の対応には多少の批判はあるものの、素直にお詫びしたい。私のブログが社会的に影響力があるとは思えないが、警察官や元警察官の方に不愉快な思いをさせたことは事実だし、警察が批判されているのに乗じて、デマ情報のようなものまで流したのは事実だから、人間として恥ずかしい
格差社会待望論もあるという情報もいただいた
アゴラ : 格差社会待望論 http://agora-web.jp/archives/1472818.html
私は、別にヒューマニズムから格差に反対しているわけではない
格差社会のほうが格差が小さい社会と比べると、消費性向が小さくなり、消費不況にはよくないと思っているだけだ
国際競争を考えると、頭のいい奴を思い切り優遇して、格差を作ったほうがうまくいくという説も納得できないわけではない
ただ、純粋に競争という概念で、出来る人間に強いインセンティブを与えるという観点から言うと、やはり格差の固定はまずいだろう
貧困層からでも這い上がれるシステムを作るほうが優秀な人材を拾いやすい
そういう点では私は今後はインドが相当、世界の技術をリードするのではないかとみている
とくに、勉強のできる子どものインセンティブをそぐのは、世襲社会だ
そのいい例が山口県と群馬県だ
山口県は長州藩のもとで、もともと学問を重んじる気風があり、岸、佐藤といった東大の歴史にも残る秀才から総理大臣を産んだ
当時は、親も佐藤さんのようになりなさい、岸さんのようになりなさいと言っていただろうし、とくに勉強の出来る子はそれに憧れただろう
当時は山口県は東大にたくさん入る県だった
今は、世襲の小学校から東京の私立というような人が県の政治家の顔になり、首相にまでなった
親も東大出の候補より世襲のほうに票を入れるし、勉強のできる子どもたちも世襲には勝てないと思うのだろう
おかげで、中国地方でもっとも東大に入らない県(年度によって違うが、はるかに人口の少ない鳥取に負けることも多い)に成り下がってしまった
中曽根、福田という東大を代表する秀才首相を出した群馬県も同じだ
今は中学校から東京のエスカレーター式私立という、元首相の娘が、全国の小選挙区の中で、いちばん1位と2位の差が大きいぶっちぎりの勝ち方をしている日本一の世襲県になった
かつては北関東でいちばん東大合格者の多い県だったが、今では関東でいちばん東大に入らない県になり、茨城の半分も入らない
世襲が偉そうにし、また県民も世襲を持ちあがる風土では勉強のできる人間のやる気をそぐのは当然のようだ
私が相続税100%というのもそのためだが、これも私の僻み根性だとコテンパンにたたく人もいる
さて、先日の86年、94年の自殺報道が多かったことについて数字の根拠がないと批判した偉い人から、今度は、私が、「批判されると、『ここはブログだから』と逃げ道を作り、居丈高に相手を批判する姿勢は、学者以前に、人間的にいささか誠実さを欠くように思われます。私には先生がコンプレックスの塊のように見えます。」(引用終わり)というメッセージをいただいた
「ここはブログだから」といってはいけないのなら、お金をとり、多くの記者を有し、はるかに金を使えるマスメディアと違って、何でも正確な裏を取らなければ、ブログも公器なのだから書いてはいけないのなら、私には続ける自信はない
SNSのように身内のみるメディアでしか、この手の話を書かず、ブログについては、私の映画の紹介や、新刊書案内のようなあたりさわりのない話を書くしかない
あと、私がこのブログを書くのは自分の精神衛生のためだ
だから、ろくに役に立たないような、言いたいことをかいている。役に立つ情報については、原稿料をいただいて、読売の中学受験サイトや日経のBPに書いているので、そっちを見てほしい
何度も言うが、私はヒューマニストではない。聖人君子でもない
自殺を嫌がったり、生活保護をかばうのも、日本人には死んでほしくないし、豊かな暮らしをしてほしいからで、北朝鮮の子どもやアフリカの子どもが飢えようと知ったことではない
このメッセージの主のような書き方をされると非常に不愉快だし、精神衛生によくない
私のように定収入がほとんどない人間には不愉快な思いをすることで、本職の邪魔になるのは困るのである
匿名で批判をしておいて(このメッセージの主のブログをあけてみると空だった)、こちらがやや感情的に反論すると人間的に誠実さを欠くとか言われて不愉快にならない人間がいるのだろうか?
このメッセージの主は、自分の普段付き合っている友だちにでもこういう手紙やメールを送りつける主なのだろうか?私はブログでは言いたいことを書いているが、知り合いにはそういうことができない人間だから、そういう気持ちが理解できないのである
逆に自分の意見を共有したり、あるいは、お互いにいい情報を与えあうというような身内の感覚でやれるのならブログを続けたいが、そういうものはブログでなくSNSでやるべきだというのなら、そちらに移行したいとも思う
私はうっとうしい制約のほうが嫌いなのだ
ということで、これからしばらくは私の本や映画の告知以外のブログはお休みにしたい
今後のことはいろいろと考えているのだが、アメンバーという人にだけ配信するとか、読者登録した人にだけ配信するとかも考えているのだが、アマンバーで嫌がらせのメッセージを送ってきた人をアメンバーから外すとか、読者登録でも同じような方を外すとかできるのだろうか?
あるいは、ブログというやり方は、公開が原則なので、好きなことを書いてはいけないというのなら、facebookのようなもので主張を載せて、友だちを大幅に増やすというやり方も考えているのだが、この場合は、やはり不愉快な人間は友だちから外すことはできるのだろうか?
初歩的な話ばかりで申し訳ないが、大勢のスタッフ(もちろん、受験産業などのスタッフは大勢いるが、余計な手間をかけたくないし、お金をもらって書く本では取材のアシスタントをつけることはある)を抱えているわけでないのに、相当な手間を要求する読者がいる限り、今の形は続けたくない
私の意見に反対な方が、参考意見に読む分には歓迎するが、私の本業に差し支えるなら、それはなるべく避けたいのが真相なのだ
そのくらい私はナーバスな人間である
そこをわかってくれる人と、今後ともおつきあいしていきたいし、わかってくれない人については、かかわりたくない
もちろん、通信教育であれ、患者さんであれ、きちんとビジネスの対象の方のクレームについては、ちゃんと対応しているつもりだ。しかし、プライベートでまで、うるさい人間は勘弁してほしい
アメリカ留学中に、私の尊敬する精神分析医は、心の治療をする人間は、自分のプライベートが幸せでないといけないというようなことを言っていた(その人は離婚して結婚した直後だったが)
歳をとって心が弱ってくると、だんだん、その言葉に納得できるようになってきた
おそらく歳をとったせいより、このメッセージの主がいうように、私がコンプレックスの塊だからかもしれない
とにかく、今は不快感でいっぱいなので、しばらくブログを休ませてもらうし、どういう形で再開するかは、心優しき読者の皆様のアドバイスに従うつもりだ
読者も1000人くらいに絞り込むかもしれないので、早めに希望者はメッセージをほしい
これがコンプレックスの塊の結論だ
先生の言われる水力発電ダムかどうかわかりませんが、水位をめいっぱい上げていて放水せざるを得なくなったということでしょうか」(引用終わり)というメッセージをいただいた
こういう情報は貴重だ
このメッセージの主は、私が去年の和歌山の水害について、原発を止めた影響を指摘したことを感心してくれていたが、これも実は読者からの情報だった
こういう読者をもてるのは、非常に幸せだ
別の元警察官の方から、「まず1つの事実を指摘させてください。私がネットのニュースで見たことですが、父親が警察に被害届を提出しようとしたのは、自殺の後ということです。」(引用終わり)というご指摘をいただいた。この方の言う通りなら、まったくの事実誤認であり、警察の人のその後の対応には多少の批判はあるものの、素直にお詫びしたい。私のブログが社会的に影響力があるとは思えないが、警察官や元警察官の方に不愉快な思いをさせたことは事実だし、警察が批判されているのに乗じて、デマ情報のようなものまで流したのは事実だから、人間として恥ずかしい
格差社会待望論もあるという情報もいただいた
アゴラ : 格差社会待望論 http://agora-web.jp/archives/1472818.html
私は、別にヒューマニズムから格差に反対しているわけではない
格差社会のほうが格差が小さい社会と比べると、消費性向が小さくなり、消費不況にはよくないと思っているだけだ
国際競争を考えると、頭のいい奴を思い切り優遇して、格差を作ったほうがうまくいくという説も納得できないわけではない
ただ、純粋に競争という概念で、出来る人間に強いインセンティブを与えるという観点から言うと、やはり格差の固定はまずいだろう
貧困層からでも這い上がれるシステムを作るほうが優秀な人材を拾いやすい
そういう点では私は今後はインドが相当、世界の技術をリードするのではないかとみている
とくに、勉強のできる子どものインセンティブをそぐのは、世襲社会だ
そのいい例が山口県と群馬県だ
山口県は長州藩のもとで、もともと学問を重んじる気風があり、岸、佐藤といった東大の歴史にも残る秀才から総理大臣を産んだ
当時は、親も佐藤さんのようになりなさい、岸さんのようになりなさいと言っていただろうし、とくに勉強の出来る子はそれに憧れただろう
当時は山口県は東大にたくさん入る県だった
今は、世襲の小学校から東京の私立というような人が県の政治家の顔になり、首相にまでなった
親も東大出の候補より世襲のほうに票を入れるし、勉強のできる子どもたちも世襲には勝てないと思うのだろう
おかげで、中国地方でもっとも東大に入らない県(年度によって違うが、はるかに人口の少ない鳥取に負けることも多い)に成り下がってしまった
中曽根、福田という東大を代表する秀才首相を出した群馬県も同じだ
今は中学校から東京のエスカレーター式私立という、元首相の娘が、全国の小選挙区の中で、いちばん1位と2位の差が大きいぶっちぎりの勝ち方をしている日本一の世襲県になった
かつては北関東でいちばん東大合格者の多い県だったが、今では関東でいちばん東大に入らない県になり、茨城の半分も入らない
世襲が偉そうにし、また県民も世襲を持ちあがる風土では勉強のできる人間のやる気をそぐのは当然のようだ
私が相続税100%というのもそのためだが、これも私の僻み根性だとコテンパンにたたく人もいる
さて、先日の86年、94年の自殺報道が多かったことについて数字の根拠がないと批判した偉い人から、今度は、私が、「批判されると、『ここはブログだから』と逃げ道を作り、居丈高に相手を批判する姿勢は、学者以前に、人間的にいささか誠実さを欠くように思われます。私には先生がコンプレックスの塊のように見えます。」(引用終わり)というメッセージをいただいた
「ここはブログだから」といってはいけないのなら、お金をとり、多くの記者を有し、はるかに金を使えるマスメディアと違って、何でも正確な裏を取らなければ、ブログも公器なのだから書いてはいけないのなら、私には続ける自信はない
SNSのように身内のみるメディアでしか、この手の話を書かず、ブログについては、私の映画の紹介や、新刊書案内のようなあたりさわりのない話を書くしかない
あと、私がこのブログを書くのは自分の精神衛生のためだ
だから、ろくに役に立たないような、言いたいことをかいている。役に立つ情報については、原稿料をいただいて、読売の中学受験サイトや日経のBPに書いているので、そっちを見てほしい
何度も言うが、私はヒューマニストではない。聖人君子でもない
自殺を嫌がったり、生活保護をかばうのも、日本人には死んでほしくないし、豊かな暮らしをしてほしいからで、北朝鮮の子どもやアフリカの子どもが飢えようと知ったことではない
このメッセージの主のような書き方をされると非常に不愉快だし、精神衛生によくない
私のように定収入がほとんどない人間には不愉快な思いをすることで、本職の邪魔になるのは困るのである
匿名で批判をしておいて(このメッセージの主のブログをあけてみると空だった)、こちらがやや感情的に反論すると人間的に誠実さを欠くとか言われて不愉快にならない人間がいるのだろうか?
このメッセージの主は、自分の普段付き合っている友だちにでもこういう手紙やメールを送りつける主なのだろうか?私はブログでは言いたいことを書いているが、知り合いにはそういうことができない人間だから、そういう気持ちが理解できないのである
逆に自分の意見を共有したり、あるいは、お互いにいい情報を与えあうというような身内の感覚でやれるのならブログを続けたいが、そういうものはブログでなくSNSでやるべきだというのなら、そちらに移行したいとも思う
私はうっとうしい制約のほうが嫌いなのだ
ということで、これからしばらくは私の本や映画の告知以外のブログはお休みにしたい
今後のことはいろいろと考えているのだが、アメンバーという人にだけ配信するとか、読者登録した人にだけ配信するとかも考えているのだが、アマンバーで嫌がらせのメッセージを送ってきた人をアメンバーから外すとか、読者登録でも同じような方を外すとかできるのだろうか?
あるいは、ブログというやり方は、公開が原則なので、好きなことを書いてはいけないというのなら、facebookのようなもので主張を載せて、友だちを大幅に増やすというやり方も考えているのだが、この場合は、やはり不愉快な人間は友だちから外すことはできるのだろうか?
初歩的な話ばかりで申し訳ないが、大勢のスタッフ(もちろん、受験産業などのスタッフは大勢いるが、余計な手間をかけたくないし、お金をもらって書く本では取材のアシスタントをつけることはある)を抱えているわけでないのに、相当な手間を要求する読者がいる限り、今の形は続けたくない
私の意見に反対な方が、参考意見に読む分には歓迎するが、私の本業に差し支えるなら、それはなるべく避けたいのが真相なのだ
そのくらい私はナーバスな人間である
そこをわかってくれる人と、今後ともおつきあいしていきたいし、わかってくれない人については、かかわりたくない
もちろん、通信教育であれ、患者さんであれ、きちんとビジネスの対象の方のクレームについては、ちゃんと対応しているつもりだ。しかし、プライベートでまで、うるさい人間は勘弁してほしい
アメリカ留学中に、私の尊敬する精神分析医は、心の治療をする人間は、自分のプライベートが幸せでないといけないというようなことを言っていた(その人は離婚して結婚した直後だったが)
歳をとって心が弱ってくると、だんだん、その言葉に納得できるようになってきた
おそらく歳をとったせいより、このメッセージの主がいうように、私がコンプレックスの塊だからかもしれない
とにかく、今は不快感でいっぱいなので、しばらくブログを休ませてもらうし、どういう形で再開するかは、心優しき読者の皆様のアドバイスに従うつもりだ
読者も1000人くらいに絞り込むかもしれないので、早めに希望者はメッセージをほしい
これがコンプレックスの塊の結論だ