昨日の原発問題の話をしたときに、つくづく感じたのは、古賀という人にしても橋下という人にしても、威張るのが好きで頭を下げるのが嫌いな人なのだろうなということだ

原発たたきをする人というのは、物言いが、みんな偉そうだ

相手が今反論できないのをいいことにこれでもかというくらいにボロクソにいう

原発を擁護する側の人間は、ボロクソに叩かれても、やはり暑い日がきて、高齢者が死んだらまずいとか、そうでなくても東京の経済に負けている関西経済が電力不足で、これ以上、負けたら大変とか、親切心で言っていることが多い

彼らのほうが言い方が低姿勢だ(福島原発の後始末をしている人のメンタルヘルスのボランティアにも行っているが、彼らは、言うほどもうからないのに、本当に腰が低い。わかってほしいというスタンスだ)

古賀とかいう役人も今はヒーローのように扱われているが、要するに、上に偉そうにされるのにむかついて、自分の言いたいように、やりたいようにしているように見える

本当に、世の中を変えたい時というのは、上手に根回ししたり、頭を下げたり、あるいは、自分が実権を握るまでペコペコしているものだろう。ゴルバチョフという人は面従腹背の達人だったようだ

ところが、昨日のブログに対して、こんなメッセージが来た(ルーツが日本人でない奴のような気がするが、そのせいで日本がぼろぼろになればいいと思っているのかもしれない。実際、原発の技術者が大量に韓国や中国に引き抜かれているようだ)

「お金のために原発擁護、あさましい 」

あのねと言いたい(こういう偉そうなもののいい方も気に入らないが)

確かに、昔は原発を擁護すれば金になった

東電がいろいろなところに金をばらまいていたのも知っているし、原発にまつわる利権も確かにあった

しかし、今の電力会社には、そんな金もないし、それ以上に電力料金を上げてもらうために、会計の内容が明らかにされているので、そんな金もまけない。だからボロクソにいわれても、工作資金も使えずに経営陣が耐えている。同じ公共料金でもガスのほうは、いまだにテレビでがんがん宣伝するので、電力会社と同じように福利厚生費などを料金に上乗せしても、新宿に巨大なビルを建てても、誰も批判しない。電力が足りなければ、ガスを使う人が増えるので、彼らのほうが、文化人に金をまいて、原発批判をさせているのではないかと疑いたくなるくらいだ。少なくとも、テレビや新聞で、電力料金のコストを見直せと言っているときに、ガスも同じようなコスト構造だから、ガス料金も見直せとか、アメリカで安い天然ガスが出たから、ガス料金を下げろと言った人をみたことがない

いずれにせよ、今は、反原発を唱えているほうがずっと金になる

直接的なことを言うと、原発擁護派は、まずテレビのコメンテーターからはずされる

反原発を声高にいっているほうが、テレビの呼びも多いし、講演会の呼び(今は東電などが、原発擁護のための講演会一つ開けない)も多い

本だって、原発擁護本はろくに売れないがぼろくそに叩くほうが売れる

いっぽうで、除染だけで数兆円使うそうだから、反原発利権はクソでかい

児玉とかいう反原発の親玉の研究室がテレビに映っていたが、東大教授であんな研究室をもてる人は、ほとんどいない。どれだけの寄付が集まっているのかと思ってしまう

医者だって、低線量の放射線が危険だと言っているほうが、がん検診などの需要も増えるからはるかに儲かる。このくらいの量なら大丈夫というほうが儲からない

私のほうが、「お金のために反原発、あさましい」と言いたい

もちろん、純粋な気持ちで、反原発運動をやっている人もいるだろうし、昔からやっている人もいる

しかし、多くの人は、3.11以降のにわか反原発で、ろくに勉強もしないで騒いでいる人だということは忘れてはいけない。

私の数日前のブログに対して

「被害者の携帯電話の番号が加害者側の家族に漏洩した件の放送を私も見ました。
警察に被害者側の方が怒りを露にしている、文句を言っている状況は悲しかったです。
本来は被害者家族は不幸にも理不尽に亡くなった人を弔うために、もっと怒りを更なる悲しみを各々抱えてゆくのでしょう。
なのにメディアでは、警察の対応の不手際を糾弾する体でしか映像を構成できない。
被害者の家族がどうしようもない悲しみを怒りにかえて、矛先が明確な公的な機関である警察に食って掛かる。
被害者家族でさえ、本来この事件で受けるべき悲しみや屈辱を転換させられているような印象を受けました」(引用終わり)

その通りだと思う

そして、このメッセージの主のいうように「世界で起こる残酷な事件、不幸な事故、そこに居合わせた人々がテレビ上(特にニュース)では、その時だけ演者のように扱われている現状がやはり目につきます」とのことだが、それもそうで、一時のヒーローが、ニュース性がなくなったとたんに、まったく無視されるようになるから、逆に、遺族の悲しみや苦しみがひどいものになったり、空虚感や寂しさがひどいものになる。後になって、こんなんだったら、あんなに騒がないでほしかったという話も多いだろう。同情するなら、最後まで、ちゃんとつきあってほしいと

「格差社会の件ですが、反貧困運動の雨宮処凛によると(雨宮は湯浅誠とも連携している)、貧困弱者が、貧困弱者を誹謗中傷すると言うことのようです。そして、弱者ほど、ある意味での自尊心が強いのか、自己責任を語るそぉです。要は、完全に社会的負け組みであるにも拘らず、そんな自分を認めたくないと言うプライドがあるらしく、いつかは自分もホリエモンや勝間カズヨになれると夢想しており、そんな人たちの社会をオカシイと言う人を"甘ったれた人"とみなし、誹謗し、決して反貧困運動などには入ろうとはせず、それどころか、より強いもの、例えば、小泉、今なら、橋下に加担・支持し、自分だけは負け組みではない、と考えたがる傾向にある、とのことのようです。」(引用終わり)

この観察は鋭い。努力で勝てる枠組みを作らない限り、公正な競争ができないのだが、それを作ろうとすると「甘ったれた人」とみなされる

私がカープでも優勝できるようなルールを作れ(たとえばアメリカのように金持ち球団が貧乏球団に金を払わないといけないようにするとか、テレビの全国放映料は、ちゃんと山分けにしろとか、完全ウエーバー制を導入しろとか)というのと同様に、貧しい人が這い上がりやすいように、公教育のレベルを上げろとか、貧乏人でも医者や弁護士になれるシステムを作れとか、相続税を限りなく上げろとかいうのも、共産主義者のようにいわれる

私自身は、受験本を書いているように、競争の好きな人間である

でも、だからこそ、競争にみんなが参加できて、貧しい人にもチャンスのある社会になってほしい

あと、国が好きだから、私有財産より国の活力のほうが大切だという国になってほしい

さて、このメッセージの主(多くの場合、この人のいうことは正しいと思っている)は、阪神タイガースが「大体、あんだけゼニ掛けて勝てんのんがお笑いやんか」(引用終わり)ということで、責めるべきでないというご意見をお持ちのようだが、選手を盗られる側の身になってほしいと言いたい

どうせ、金でよそからとるなら、読売からとればいいのに、弱いチームが一生懸命育てた選手をとる

これが弱者ほど、弱者を叩く構造とそっくりだから、阪神を私は好きになれないのだ

本日は、若干、感情的になったが、少なくとも私は「あさましい」つもりはない

私有財産より、国のほうが大事な国だから、おそらく累進課税が厳しくなっても(たちどころにローンが払えなくなる)、相続税が高くなっても、すごく困る立場なのに、そうなってほしいと思っているし、テレビの生放送に出られなくても、原発擁護派を続けるのである(もちろん、原発の中で今も働く人のメンタルヘルスのボランティアもタダで行っているのは言うまでもない)