またまた、読売にカープが負けた

今年は珍しく勝ち越しているが、金で集めた戦力の差はぬぐえない

ピッチャーがよくても、打者のほうはやはり金を使わないと集められない

一人主力が欠けると戦力の薄さが露呈してしまう

今年は巨人も弱いから、そんなに巨人を嫌わないでというメッセージをいただいたことがある

私が嫌いなのは、巨人ではなく、巨人的な野球だ。アメリカ型の自由競争を絶賛して、裏金をつんで、新人選手に逆指名をさせ、さらに貧乏なチームがやっと育てた名選手をフリーエージェントの名で引き抜く

そう考えると、阪神だって、今は似たようなものだ

DeNAだって、今は弱いが、金にあかせて似たようなことをするかもしれない

アメリカのように貧乏なチームにさまざまな補償を与える制度や、ドラフトの完全ウエーバー制などが機能していない。日本の資本主義のほうがアメリカよりむき出しなのは、この20年でアメリカの平均賃金は2割もあがっているのに、日本は17%も下がっていることでもわかる

野球で自由競争や金持ちが勝つ制度に、自然な感じを与えることで、日本の労働者や地方の住民は確実に洗脳されている。所得の再分配を言いだす人間はいない。公正な競争は何かをいう人もいない

ルールがなければ公正な競争などできない

読売は選手のプライバシーを盾に(脱税をしているかもわからないのに)、自分たちのしてきた不公正な競争を正当化している

レイズが優勝できたように、カープでも優勝できるような制度が公正な競争というものだ

私は、それは20年はないと思う

それと同じように、日本は20年は格差拡大が続き、東南アジアのような国になることだろう

中流がいないから、日本製品には誰も憧れない

加工貿易の国に戻るのだ

プロ野球やテレビが洗脳装置だと思うのは、地方の住民が小さいころから巨人しかみてこなかったからという

では、相手チームのいいピッチャーが巨人を抑える姿をかっこいいと思えないのか?

貧しいカープの前田健太のようなピッチャーが、金で集めた名バッターをなで斬る姿をかっこいいと思わないで、巨人しか見えないとしたら、これは恐ろしい感性だ。お上に貧しいものがたてをつこうとすると、お前は共産党だというのと同じ発想だ。日本は北朝鮮を使って、上手に共産党アレルギーを作ったから、資本家のやりたい放題の国を作った

福祉が票にならないから、高齢者が増えても、介護施設が常に足りない。でも、結局、割を食うのは、その介護をおしつけられる中高年以上の女性なのである。その当の中高年女性が、橋下氏やかつての小泉氏のメインのファン層になっている

さて、受験勉強に果たして意味があるのかという質問がきた

私としては、英語の読み書きが不自由なくできるのも、多少なりとも数学的な発想ができるのも、受験勉強のおかげだったと思うが、おそらく、いちばん大きいのは、考える習慣がついたことだと思う

それは、受験勉強で目の前にある問題を考える習慣がついたということではなく、どうやったら受かるかを考える習慣だ

考えた結果、今、この科目をやっても伸びないと思ったら、その時間をほかの科目にあてようという話になる

勉強の意味を高校生で考えたところで、大人でないので、本当のところがわかるはずはない。大人になって社会に出てみないと、わからないことだらけだ。大人になってみたら、結局は無駄だったとわかることもあるだろうし、思ったより役に立ったという人もいる。答えの出ないことを考えても、考えるだけ時間の無駄だということになる(もちろん、受かるためという発想のもとでであり、むだなことをあれこれ考えるのにも意味があるという人もいる)。

当時の私は、映画監督になることしか頭になかった

映画をみる時間を作るために、少しでも時間が節約できる割に、試験でとれる点があがる勉強法を考えていた

受験勉強が役に立たなくても、医者の資格さえ、取ってしまえば、その金で自主映画が撮れるだろうし、映画がこけても、資格があれば、また雇ってもらえるだろうから、あきらめずに一生続けられるだろうと思っていた

どんな資格試験の勉強にしても、その勉強が本当に役に立つかどうかはわからない

建築士の人に聞いても、無駄なことが多いという

医師国家試験でも、臨床に役に立たない愚問が多い

でも、だからといって、それを避けていれば、肝心の建築士や医者にはなれない

建築士や医者になってから好きなことをすればいいのであって、それまでは、従うしかないと割り切るしかない

私は受験勉強とはそんなものだと思っている

だから、過大な意味を求めず、受かるための勉強を追求する

受験勉強をしていて、一つよかったのは、そういう風に人生観や価値観が変わったことがあるだろう

私は、上に従うために受験勉強をしたわけではない

上に逆らえるように、好きに生きられるようにするには、受験勉強にしても医師国家試験でも受かるしかないと考えたのだ

それは今もって変わらない

私がカープファンを公言できるのも、このブログで好き勝手言えるのも、おそらく、これからの人生で、好き勝手に生きていくだろうというのも、とりあえず、何があっても(医者の免状で食えなければ、受験業界で食っていくということも含めて)食っていけるという思い上がりがあるからだ

もちろん、マスコミや読売や阪神の洗脳もあるだろうが、それがない人でも、生活のために主義信条などを犠牲にしたり、上の言いなりにならざるを得ない人がいっぱいいる

私が受験生に言いたいのは、そうならないでほしいということだけだ

受験の競争だって、確かに金持ちほど、いい教育環境におかれて有利だが、野球のように露骨に、他人の学力が買えるわけではない

努力してきた貧乏人の学力を、金持ちが買って、金持ちのほうが勝つ(フリーエージェントとはそういうシステムだ)ということがないのが救いなのだ

だから、フリーエージェントのなかったころのカープが優勝できたように、貧乏でも這い上がるチャンスは、プロ野球よりはある

そう思って、とりあえず、まず受かることを考えてほしい