ユッケの食中毒を出した会社の社長が自己破産をしたそうだ

亡くなった5人の方は気の毒だが、こんなに安い値段で、ユッケを出そうとしたり、どうも生食用の肉を使っていなかったりで、ひどい業者だったような気がするから、そんなに同情できない

それより、被害者の数は、この5人だけでない。いい加減にやっていない業者がとばっちりを受け、全国の人がユッケを食えなくしたのは許せない。厚生労働省もやりすぎだし、マスコミも騒ぎ過ぎだ。

実際は、和牛生ロースとか、常連客用の裏メニューとしては残っているようだが、先日は昼のランチで堂々とでてきてびっくりした

メニューにそう書いてあるが、実際は違うと思っていたら、昔通りのユッケがでてきた。実にうまい

マスコミの騒ぎ過ぎと役人の過剰反応で、うまいものを食えなくなるのは残念だ

ある程度、危ないことが公知されたのだから、自己責任で何がいけないのだろうか?

京都の無免許運転集団死傷事件で、被害者の方々の情報が加害者に流れたことが、ぼろくそに非難されている

テレビの画面だけで判断してはいけないが、加害者の親がそれだけ、罪悪感を感じ、必死だったように思う

今は情報漏洩にうるさいが、昔なら、警察は示談を勧めるために、警察のほうから、加害者側に被害者の連絡先を教えるくらいのことはあっただろう(レイプなどでは別だろうが)

警察にしても教頭にしても、そんなに悪意があるように見えないから、ある意味、時代の変化を読みそこなった対応で、ここまでぼろくそにたたかれるのが、ちょっと気の毒になってしまった

日本では、何かの事件の被害者になると、それどころか自然災害の被害者でも、神様のようにまつりあげられ、どんなに大人げない対応をしたり、加害者の親とか関係者に、あるいは謝りにきた会社の社長とかに、どんなにえげつない罵声を浴びせても、かえって同情される

子どもの教育上悪いとは思うが、法治国家とは思えない、私的制裁の正当化がなされる

今回の事件は、もちろん、一方的な被害者だが、以前は、何百万円も風俗店の経営者からたかっていたような女性が、その男をふってストーカーされた上で殺されても、やはり加害者が一方的に悪い話にされていた。子どもの教育を考えると、やはり男に、こういう形でたかってはいけないと言いたくなる

あるいは、百人近くバイトを雇って、「危ないですから子どもの手を引いて下さい」と回転ドアの前で連呼していたのに、それを無視して、子どもがはさまれて回転ドアで死んだ事件でも、もちろん、手を引いていたら確実に助かったかどうかはわからないが、今後、まだ回転ドアの類が残るために二次被害を出さないために、そういう教訓をテレビで言うべきだと思うが、被害者を責めることになるという理由で、テレビ側が言論統制をしていた。私も当時はコメンテーターをやっていたが、CMの合間に、やはり手をひかないのはまずいよねとみんなが話していても、「絶対にそういうことは本番では言わないでください」と釘をさされた

確かにどんな事件でも被害者は気の毒だが、世の中に教訓を与えるとか、二次被害を防ぐためには、被害者側の問題点だって、伝えないといけないことはあるだろう

少なくともこういうマスコミのあり方が、被害者感情をより増幅させているという側面もあるように思う

謝りにくるという人間に、謝りための情報を漏らしたことで、そこまで激怒するのも正当化される

こういう被害者さまさまの国では、謝罪が本当にやりにくい

足蹴にしても、罵倒しても、被害者が正しいのだから

でも、精神科の立場からすると、疾病利得だとか、被害感情が強くなってしまうと、その後、トラウマになる確率は高くなってしまう

一時的にヒーローになれても、ニュース性がなくなるとマスコミはすっと去って行って注目されなくなる。そのときの空虚感もひどいはずだ

ところで、この事件のあと、集団登校につっこむという事件がいくつか続いている

偶然という考え方もあるが、以前からむしゃくしゃしていた人間が、事件報道に誘発されて、決行のきっかけになるということはあり得ない話でない。集団登校をみて、あれにぶっこんでやろうと思う、異常な心理の人間が100万人に一人いたとしても、全国で130人もいることになるのだ

だからテレビ報道は怖いし、報道のガイドラインが必要なのだ。自殺に関しては、誘発効果がはっきり示されている

橋下氏が原発容認にかたむいたと報じられている

現実的な姿勢は私は好きだ

事故が起こるかどうかわからない、起こったとしても人がほとんど死なないと思われる原発をとめて、猛暑がくれば、高齢者が百人単位、下手をすると千人単位で熱射病で死ぬだろう

去年の和歌山のように、水力発電のダムの水位をめいっぱいに上げるから、台風がくると水害で死ぬ人も出る

こういうのを被害者として、マスコミは扱ってくれるのだろうか?