最近、うつっぽいというようなことをブログで書いたら、心配してくれる人が多い

もちろん、自分なりに治療をしているつもりだし、昨日あたりから、気持ちの整理もついた気がするので、治ってくれないかなと期待している

いろいろな事情があって、相談であれ、カウンセリングも増えている

守秘義務があるので、よけいなことが書けないが、少し前に、土曜ワイド劇場の世界というか、偉い人でも脅しに会うと、相当、メンタルにまいるし、判断が難しくなるのだろうなと思うことがあった(時期がたって、おそらく事件そのものは終わっているだろうと思うので、今頃になって書こうかと思った)

自分の立場に置き換えて、想像してみた

私が新しいスタッフを雇ったら、そいつが万引きの癖があって、わかったので首にした

すると、実は、その男が、私の使っている東大生にも誘いをかけていて、何人かは万引きをしていることがわかった

もちろん、その学生たちには、重要な訓示をするなり、やめさせるなりするのだろうとは思うが、ここから事態が急変する

その首になった男が、この話をマスコミに売るだとか、自分が自首したら、何人かの東大生の将来がなくなるぞと脅してきた

「お前だって、教育者なのだから、使っていた学生が集団万引きをやっていたら、マスコミのえじきになるぞ。その上、お前のところで一生懸命バイトしていた東大生が、せっかく東大に入ったのに、学校をやめさせられることになる。20歳をすぎたら、万引きだって実名報道だってされるぞ」と

こういう際に、言われたとおりにお金を払って、丸く収めるのか、その男を恐喝でつきだすのか

もちろん、悩むところだが、私だったら、やはり、心を鬼にして、その男を恐喝で訴えるだろう

この手の輩は、一度金を払うと、その後もゆすり続けるし、今度は金をはらってもみけそうとしたということもゆすりのねたにしてくるからだ

それ以上に、あるところでけりをつけておかないとメンタルヘルスがどんどん蝕まれてしまう

確かに、自分の大事なスタッフが、こんなつまらないことで捕まるのは、慙愧にたえない

でも、やはり万引きだって犯罪は犯罪だから、申し訳ないが自己責任だ

でも、おそらく恐喝犯がやけくそを起こして、一緒に万引きをしたという学生たちの名前をあれこれと警察に言っても、もう証拠が残っていないから、事情聴取くらいはするだろうが、立件もできないだろう

私なり、私の会社なりが家宅捜査を受けるのも、うっとうしいし、近所にみられるとはずかしい。私のことを不愉快に思うワイドショーなどが中継する可能性だってゼロではない。

でも、おそらく警察は、むしろ恐喝犯をのさばらせないために、彼の思惑通りに進めないだろう

マスコミだって、自分が心配するほど自分が有名人でないし、こっちが被害者なのだから、書くとしても3流週刊誌くらいだろう

私のことが書かれたとしても、どちらかというと被害者なのだから、そうぼろくそなことも書けないだろう

ちょっと評判が落ちても、教育産業の場合なら、実績をあげていたら、お客さんは残ってくれる

でも、そう開き直るのはすごく大変だろうなとは思う

この手のおどし話は、いつも土曜ワイド劇場のような番組のプロットに使われる

私も、こんなに好き勝手なことを書いているので、痴漢えん罪にあうのが怖くて、電車は原則的に使わないが、同業者が、こういう変な従業員をしこんでくれば、私に悩みを打ち明けてくれた人と同じ心理におかれるかもしれない

そのときに、今のように、想像した通りの判断ができるかどうかは自信がない

さて、上記の話は、もし、私がその人だったらという想像の世界だが、相手の立場に身をおいて考えるというのが共感の原則である。その想像から、私なりに、その人にコメントした

でも、「先生は当事者じゃないから」「私の業界のことを知らないから」とあっさりとアドバイスを却下されるのはちょっとむなしかった。ほかの精神科医と比べて、世の中のことを知っているような思い上がりがあったが、それを打ち砕かれた気がして、すごく無力感を感じた。今だからいえるが、そんなんだったら来るなと言いたいくらいだった。

でも、おそらくその人は誰かに言いたかったのだろう

人間というのはばれたらまずいことで脅される

下手をすると家族に言えないことだってある

家族のほうが脅しにはげしく反応する可能性だってある

だから、だれにも言えなくて、脅しの不安が増幅する。人に相談できず、一人で想像を膨らませると、それが際限なくなるというのは、不安神経症の人でなくても、たとえば、私の前述の想像のように、いっぱんの人だって、異常心理にたたきこまれる。逆に誰もわかってくれないと思って、人を拒絶することだって生じるのだ。もちろん、脅す側はそれを織り込み済みだ

だから、誰か聞いてくれる人をさがして、話をするだけで、心理はだいぶ違うはずだ

その人は、その人なりの判断をしたのだろうが、話を聞いてもらっただけで、少しは判断力がましになったのではないかと信じることにした

私もそうだが、人間、誰でも、聞いてくれる人が、最低一人は必要だ

そのために、私は、これからもエグゼクティブカウンセリングを続けていこうと思った