神戸新聞|社会|母さん50歳東大合格 30年越しの願いかなう
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0004931647.shtml

という記事を見てどう思うかというメッセージをいただいた

もちろん、おめでとうと言いたいし、私自身も励まされることが多い

しかし、それ以上に、東大の入試が面接試験がなくて本当によかったことも付け加えたい

以前、群馬大学の医学部で合格者の平均点(最低点ではない)を10点以上も上回った55歳の女性を
不合格にしたことがあった。面接などを総合的に判断した結果だそうだ

親の死をきっけけに命と向き合うことを志し、猛勉強して医学部に入ろうとする人間に対して、群馬大学の医学部の教授たちの判断(こういう人たちが人との命を預かったり、人を治すと考えている、いかに日本の医者が人の心とか、高齢になっても可能性があるかを考えない象徴的な出来事だが)がこれである

でも、私は日本の大学教授と称する世間知らずの連中の大部分がそんな人間ではないかと疑っている

以前、臨床心理士の偉い人の集まりで、現在の臨床心理士の世界でボスと目される偉い先生から旋律のことばを聞いたことがある

「最近、主婦が子育てを終えて、臨床心理士の大学院に入り直して、臨床心理士になろうとする人が増えている。カルチャースクールのつもりのようだが、おれはそういう連中をみんな面接で落としてやっているんだ」と

私の大学院にも子育て経験を終えたり、学校教師や看護の仕事の経験のある人間、あるいは親の介護経験などをへて50くらいの女性が入ってくる

そして何人かが筆記試験で合格したというのに、二次の面接で落とされるのだ

その臨床心理士のボスの発想では、大学を出たてで大学院に入って臨床心理士を志す人間は本気だが、人生経験を積んでから臨床心理士を志す人間はカルチャースクールなのだろう

これが本当に心理を学び、教える人間の考え方なのだろうか?

こんな奴が牛耳っている限り、臨床心理士は国家資格にすべきでないと本気で思った(一生懸命臨床心理士をやっている人に気の毒なので今は思わないが、そいつを追放すべきだという気持ちは今も変わらない)

今世紀に入ってから、世界の趨勢になってきたこともあって文部科学省も生涯学習を推進するとはいろいろと声を上げているが、実際、遅々として進まず、日本は相変わらず、後から勉強してキャリアチェンジが難しい社会のママだ

せめて人事だけでも変えて、群馬大学のような大学の補助金を減らすとか、臨床心理士の面接試験の合格率が社会人出身のほうがそうでない人より低いことが明らかになれば、戒告をするとかくらいはできないのだろうか?

ここでも、大学の自治というくだらない理屈で、大学教授たちが勝手に牛耳るシステムの限界が露呈されているのだ

日本では教授会で教授を決めるが、アメリカではディーンという学部長が優秀な人間をスカウトする

こういうシステムのほうが、9月入学より、よほど競争力の強い大学を作るのは明らかだと思うがどうだろう