森永さんが東大出身の異端と思われている方のメッセージ

「難関大や進学校は基本的に野心家や理想家、夢想家の集まりですから、成績が良くても平和主義の子供には勧めたくありません。平和主義な人だと孤立する可能性が高いですから」

たまたま、このブログのニュースページで、美人東大女子の座談会のようなものが出ていて、東大生の男子の頼りなさが問題になっていた

自分の学生時代も含めて、長年、東大生を見てきたが、確かに野心家や理想家、夢想家が多い学校ではあるが、主流はむしろ大人しい子という印象が強い

親や教師の言いなりになって、塾通いを始め、親の選んだ6年一貫校に行き、予備校や塾の言われたとおりに勉強して東大に入る。そして入ってからのさしたるビジョンもなく、このニュースの座談会のように、むしろ高校時代の成績を自慢して、女子にバカにされる

平和主義のおとなしい子でも、孤立することなんか、おそらくはないだろう

ただ、最近の学生を見ていて、二つ心配なことはある

一つは、平和主義とか、事なかれ主義とかいう、とくに野心も理想もない東大生は、むしろ増えた気がするが、弱者に暖かい東大生は減っている気がする

勉強ができる子も、できない子も、みんなが受験競争に必死になっていた時代は、一生懸命勉強したのに、行きたい大学に行けない子や、大学にすら行けない子に対して、東大生は、多少なりと自分が運よく受かったというような引け目があった気がする(そうでない厚かましい奴も多かったが)また今の東大生より、読書家も多かったから左翼思想ももちやすかったのだろう

ところが、今のような少子化で、まったく努力せずに二流大学なら入れる時代になると、自分たちは一生懸命勉強して東大に入った。よその大学の奴は努力していない結果責任だという発想になりがちだ

私の推測があたっているかどうかはわからないが、少なくとも東大に入って、民青に入るとか、左翼運動をする人間は激減したのは確かだろう

ついでに、文字通りの意味の平和主義にしても、昔の東大生は、反戦運動の拠点のようなところだった。今は、そういう子も少ないようだ。

もう一つの問題は、東大に野心家や理想家が減ってきたとはいえ、まだ多いが、いわゆる偏差値の低い大学の人間ほど、いつかは東大卒を見返してやるというような野心家の子どもが減っているようだ

東大は均質的な秀才集団のような言われ方をするが、野心家もいれば親教師の言いなりのおとなしい子も多い

かろうじて、テレビを信じないで、自分の頭で考える子も残っている

むしろ、下の学校の子どもほど、橋下がよければ橋下と無批判に受け入れる均質化集団になっている気がする

ただたま昨日は某文化人と食事をしていたが、京都の一流半どころの大学でも、半分くらいの生徒が寝ていたので、二度と行かないことにしたそうだ

私も手放しで東大をほめる気はないが、少子化で受験競争が緩んだところに、学校ではゆとり教育の哲学が横行し、マスコミは昭和40年代の受験競争が激烈だったころと同じ論調で、勉強のできる子や東大生、あるいは受験競争を批判する

受験競争でどれだけ精神が鍛えられたり、人間の闘争本能を喚起するかは私にも実証できない

ただ、イメージ先行の(本日のメッセージの主も、東大に見に行ったわけでないのに書いているようだ)受験競争批判は、子どもの闘争本能のようなものを奪うような気がしてならないのだ